ハンパな人間なりの「ゆるい自分軸」の育て方
私は昔からこれといったポリシーがなく、どなたのどんな話しを聞いても、たとえそれが自分と違う考えであったとしても、「それはそれで一理ある」と思ってしまうタイプの人間です。
たまに「どっち派?」みたいな問いに答えないといけない場面に出くわすと、困ってしまいます。「どっちもあり」だと答えになってないし、かといってのらりくらりし過ぎて「本音を言わないずるい人」とも思われたくないので(笑)
「Aだとこんなメリット・デメリット、Bだとこんなメリット・デメリット、プラスオプションCもあるかもですね」
のように、極力こちらからも客観的に情報提供しつつ相手に選んでもらう、あるいは一緒に考える、みたいな手をよく使います。
それには理由があって、「ぜったいこうです!」と言い切れるほどの根拠や自信を何に対しで持っていない、という自らの中途半端さがあります。
そんな中途半端な私だからこそ、普段から何かを判断する時に必ず心がけていることがあります。それは1つの情報を得たら必ず対極の情報も得るようにする、いうことです。
例えば
右を見たら必ず左も見る。
上を見たら必ず下も見る。
前を見たら必ず後ろも見る。
中を見たら必ず外も見る。
という風に。
その際のポイントは「上の方が良くて下は悪い」とか、「右の方が優れていて左の方が劣っている」みないに決めつけず、あくまでも上は上、下は下、右は右、左は左、と事実を捉えること。
その上で自分としては今回はどの塩梅で行くのか方針を決めています。
私が最も避けたいことは「独善的であること」。目の前の事実をどう解釈するかには、必ず個人のバイヤスがかかるものですが、だからこそあらゆる可能性にいつもオープンでありたいと思っています。
そんな感じの中庸(という名のどっちつかず)な私からみて、「そんな風に考えたらしんどくない?」と思うケースがありまして。
仕事先で面談とかしてると、よく「善悪」に縛られてる人が多いなーと感じるんです。簡単に言うとポジティブな方が良くて、ネガティブだと良くない、みたいなことです。
ポジティブ感情とネガティブ感情って、どっちが良い悪いではなく、ショートケーキとチョコレートケーキの違いみたいなものだと思うんです。
ショートケーキのほうが良くてチョコレートケーキは悪い、なんてことないですもんね。
感情も同じ。味わえばどちらも美味ってこと。
「ポジティブでいなきゃいけない」なんて自分を縛るから、「自信がないから良くない」とか「経験浅いから良くない」とか思っちゃうわけで。
「自信がない」も「経験が浅い」も単に事象であって良い悪いの話ではないと思うんですよね。なんでもかんでも善悪で二極化するのは合理性がないと思ってます。
だって「青は赤より優れてる」みたいなことないじゃないですか。赤は赤だし青は青なだけの話。好みはあってしかるべきだけど、良い悪いはないよねっていう。
自信がないならないなりに頑張れ、だし、経験浅いなら浅いなりに頑張れ、です。
なぜなら自信にも経験にも最終ゴールがないからです。いい線まで行ったら必ず「あー、私まだまだだな」て瞬間が必ず来ます。何度も何度も。
その度にいちいち落ち込んでたら効率悪いですもん。いっけんネガティブなこともすべて自分の一部。「抱えて行く」ぐらいに開き直った方が、自由に生きられる気がしています。
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