【5分で知る不登校】不登校の子どもたちの意味や意義
不登校の子どもたちの親御さんと話していてよく聞くのは
『ゲームばっかりしていて、不安』
『SNSにハマっていて、無駄に一日が終わる』
『自由に過ごす時間に意味があるのか?』
こんな言葉たち。
なぜ、こんなにも意味や意義が必要なのでしょうか?
登校と不登校
学校に行く意味
皆さんは学校に『意味や意義』をもって行っていましたか?
僕は、小中高と学校に通っていましたが、その日々の中で
『学校に行くのは、友達と会うからだ!』とか
『勉強をしにいくぞ~~~~!』とか
『やっぱり社会性は見つけておかないとね!』とか
考えたことはありませんでした。
後から考えると、勉強を建前に友達と話してたら、狭い世界での刹那的な社会性が身についたかな?という感じです。
これは必ずしも『学校』という場所でなくても身につけることができたものだと思いますし、あくまでも後から思う結果論でしかないと思います。
不登校中の過ごし方の意味
不登校中の過ごし方の意味も学校に行く意味と同じように、
その後の生き方の中で理由付けをするものでしかないと思います。
ただ、その意味は否定的な言葉で打ち消されがちでもあるのが現状です。
登校でも不登校でも、その生活の『意味』は後付けです。
お子さんが学校に行っていると親御さんがその意味を考える必要がない
ただそれだけのことだと僕は思います。
生きる意味
生きる意味ってなに?
すごく主観的な意見でしかありませんが、
人が生きる意味なんてないと思います。
それになんとなく氣が付いていたころの僕は、
生きる意味を見出したり、アイデンティティーを追いかけたり、
死を恐れて逃げたりに必死になっていました。
大人だって言葉にできないのに、
親が子どもたちの日々に意味を求めるのはなぜでしょうか?
僕は、大人自身の不安を子どもたちに押し付けているのだと思います。
親御さんの思う、お子さんの幸せ
僕が『不登校を不安に思っている親御さん』に聞く質問。
「お母さん(お父さん)の思うお子さんの幸せって何ですか?」
これに対しての多くの回答が
「子どもが笑顔でいてさえくれればいい」
という言葉。
それとは裏腹に、不登校中にお子さんが笑いながらゲームをやっていることに不安を感じるという。
これは、建前と本音というものではないと思います。
親御さんはお子さんに笑顔でいてほしい。
けど、そのためにはゲームをして笑っている場合じゃないんじゃないか。
親は自分の知らないことは話せず、自分の経験からしか語れないので、
こういう表現になってしまうんです。
笑顔で生きる
感じる違和感
『笑顔で生きる』が親の望みであれば、
なぜ、『笑顔の減る』登校を促すという言動をするのでしょうか。
将来の笑顔のために、今は不幸であれということなのか。
学校に行けば将来は笑顔でいられるという確信があるのか。
いずれにせよ、幸せの四つ葉のクローバーを見つけるために、その周りの三つ葉のクローバーを踏みつけるのは僕には違和感でしかありません。
親が出来ること
親が出来ることは、不登校でも幸せに暮らせる社会を創ることであり、
お子さんが笑顔で生きられる力を育むことだと思うのです。
社会に対しては『不登校の話を積極的にする』。
これだけでも認知されていくので、誰にでもできることだと思います。
大変だな、めんどくさいな、と思う方もいるかもしれませんが、
逆にこれだけの責任をお子さんに背負わせているということでもあります。
これからの社会
お子さんは社会に出ますし、新しい社会を創ります。
それは、登校していようが、不登校だろうが同じです。
そしてそれは、今の僕たち大人が想像できないような形だと思います。
僕がゲーム業界に入った時、親から理解をしてもらえませんでした。
親にとってはゲームは遊びであり、想像ができなかったから。
子どもにとって、社会に出るときに親が理解してくれることはとてつもない安心であり、大変でも頑張れる勇気であり、乗り越えた先の笑顔でもあります。
不登校の生活の意味は、大人が求めているだけのものです。
であらば、お子さんに寄り添って、お子さんと一緒に、
後から『意味があった』と思える社会にしてみてはいかがでしょうか。
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『ミライラボ』ってナニ?
と興味を持って下さった方、こちらの記事もよろしくおねがいします♪
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