『笑う門には福来る』あなたに言われりゃかなわない
関西に住む友人の奈美(仮名)には、18才の愛ちゃん(仮名)という女の子がいる。奈美と愛ちゃんがこれまで乗り越えてきた多くのエピソードに私は心が強く揺さぶられ、二人から多くを教わった。ここに、そのことについて書いてみたい。 感謝を込めて。
まさか自分の子にこんなことが…
愛ちゃんは6年生で脳腫瘍が見つかった。娘が小児がんであることを突き付けられた奈美は『まさか自分の子にこんなことが起こるなんて…』と、当然ながら、事態を受け入れることなどできなかった。
とは言え、ガンの進行は待ってはくれない。早急に詳しく状況を理解し、治療方針を担当医と話し合って決断しなければならなかった。
そんな深刻な状態の奈美と、まだ詳しいことを知らない愛ちゃんが待合スペースで待機していた。そんな二人に向かって声がかかる。
呼ばれたのは母親の奈美だけ。その状況に何かを察した愛ちゃんは、
『先生、わたしにも隠さないで話を聞かせてください。ちゃんと自分の病気のことをわかって、家族と一緒に話し合いたいから。』
と、医師を説き伏せ、治療方針の話し合いに参加したのだ。
まだ6年生くらいの子は、色々な検査をされるだけでも動揺し、嫌がると思う。十分大人の私でさえ想像するだけでも嫌なのだ。
だから脳の手術なんて言葉を聞くだけで『そんなのやりたくない!!』と拒絶するのが普通の反応だろう。
その上、生存率は30%~50%程度、片目を失明するリスクが高く、聴力も低下、顔面麻痺、その他のさまざまな後遺症の可能性を宣告されるとなると、なおさらだ。
それほどのリスクありきの手術でありながら『手術しなければ、生きられない』と告げられてしまったのだ。
そんな厳しい診断結果を聞かされたにもかかわらず、愛ちゃんは涙も見せず医師に向かってこのように言い切った。
『先生、わたし手術します。たとえ今までにこの病気で完治した子がいなかったとしても、わたしが世界で初めて完治した子になれるように頑張る。』
どうしてそんなに強いのだろう
そんな愛ちゃんのことを、奈美は、小さい頃からなんだか不思議な子だな、と思うところが時々あった、と言っていた。
そうは言っても、何度も言うが、当時はまだ6年生だ。そして、6年生だからこそ、医師の説明で自分の命の危険を理解することもできる。それなのに、自分の身に起きた状況を冷静に受け入れ、『頑張る』と言えるなんて。
私にはその時の愛ちゃんの心境をとても想像できない。
大変な手術を乗り越えても、安心する間などなく、辛い抗がん剤治療が待っていた。かなりの吐き気や異常なほてりなど、見ていられないほどの状態に奈美は、『私ならあんな治療、とてもじゃないけど耐えられないわ。』と言っていた。
放射線治療の際には、ガンを完全に撃退するレベルでの治療をすれば、片目の失明は覚悟する必要があるとの事で、放射線をどのレベルまで当てるかの選択を迫られた。
母親の奈美にとっては、片目の失明よりもガンが再発する事の方が怖かった。だが、娘の一生にかかわることに自分の気持ちを押し付けることもできず、最終的に愛ちゃんがどうしたいかに委ねることにした。
その時も愛ちゃんは、冷静に治療レベルを選択し、医師にこう伝えた。
『ガンの再発のリスクがあっても目が失明するのは嫌だから、先生が一番ギリギリここまで、と思う放射線の量にして下さい。』
手術、抗がん剤、放射線の3つの治療を乗り越えたものの、どうしても逃れられない後遺症を抱えた。飲み続けなければ生きていけない沢山の薬。予測できない急な体調の変化。退院後は、そんな体調を家族で見守らなければならなかった。
入院治療の最中、なんとか入学式だけは出席した中学校。退院できたのが二学期の始まる前日で、他の同級生と1学期分遅れてのスタートとなった。
退院後すぐ始まった中学生活は、かなり身体に負担がかかり、ギリギリ半日過ごせるかどうかの日々が長く続いた。
そんな状況では友達関係もなかなかスムーズにはいかず、奈美は愛ちゃんの身体だけでなく、精神面も気にかかることが多かった。そんな状況でも愛ちゃんは、余程体調が悪い日以外は通い続け、公立高校に進学できた。
親子を支えた言葉
奈美と愛ちゃんは、いろんな言葉でお互いに励まし合っていたのだが、特に頻繁に出てきた言葉がある。
『病は気から』『笑う門には福来る』『信じる者は救われる』
この三つ。
もともと奈美は、家族の会話の中で格言やことわざの類を使うことが多かった。その影響もあってか、闘病生活が始まってからは、愛ちゃんも頻繁に口にするようになった。
いや、どちらかと言えば愛ちゃんの方が親の奈美を諭すことが増えたのだ。
病院通いの車の中で、母の元気のない表情を見ては、
『お母さん、暗い顔してたらいいことも起こらへんやん。笑う門には福来る、やで!』
色々と細かいことに心配する母には、
『お母さん、わたしは大丈夫やから、そんなに心配せんといて。ほら、病は気からやろ?』
定期的な検査のたびに、ガンの再発に怯える母に
『わたしは大丈夫っていつも信じてるから。信じる者は救われるってお母さんも言うてたやん!』
そんな風に繰り返される愛ちゃんの言葉に、奈美はこう言っていた。
『私の方があの子に支えてもらっている感じだった。あの子のおかげでいつも信じて前を向いていこうと思えたよ。』
出逢いはきっと必然だった
奈美と愛ちゃんの人生には、大きな出逢いがあった。それは愛ちゃんの通っていた小学校の佐藤先生(仮名)だ。
愛ちゃんは学校の成績は悪くなかったが、算数だけはずっと苦手だった。4年生になってからは、その苦手さに拍車がかかり、テストで初めて一桁の点数を取るようになった。
なんとかしたい愛ちゃんは、自習で頑張ろうとしたものの、やってもやっても結果のでない算数の勉強がだんだん嫌になっていた。
そんな愛ちゃんを導いたのが、定年まで残り3年のベテラン女性教員の佐藤先生。その頃の佐藤先生は担任は持っていなかったのだが、算数の授業が1クラス2グループでの指導体制に変わったことで、4年生のクラスの算数担当として愛ちゃんに算数を教えることになった。
佐藤先生の授業は算数が苦手な愛ちゃんにも分かりやすかっただけでなく、先生の魅力的なキャラクターで授業に引き込まれた。おまけに、
『愛、努力は絶対に裏切らないんやで!』
『愛なら絶対できるから!』
と繰り返し声をかけながら、とても熱心に教えてくれた。
そんな4年生のある日、帰宅した愛ちゃんが奈美に満面の笑みで一枚の紙を差し出した。
それは算数の100点の答案用紙。
算数のテストを見せる時はいつも申し訳なさそうな顔をしていた愛ちゃんに、日頃から心痛めていた奈美は、感極まって、すぐさま佐藤先生に電話をかけた。
泣きながら感謝の言葉を伝える奈美に、『愛がものすごく頑張った結果なのよ、お母さん。』と、佐藤先生も涙声で喜びを分かち合ってくれた。
あれほど苦手で嫌いになっていた算数を、どうして頑張れたのか、と母に聞かれた愛ちゃんはこう言った。
『佐藤先生がいつも言っててん。努力は絶対に裏切らないんやで!って。お母さん。ほんまやったわぁ。』
いくら頑張ってもどうにもならなかった算数で100点を取れた経験は、愛ちゃんにとって『あり得ない』出来事だっただろう。
そしてそれこそが、その後にやってくる大きな苦難と向き合う心の礎になっていた。
なぜなら、愛ちゃんは辛い治療の間、
『努力は絶対裏切らないから、わたしは頑張る!』と繰り返していたのだから。
佐藤先生との出逢い。算数の100点。きっと愛ちゃんの人生に起こるべくして起こったことなのだろう。
佐藤先生は、愛ちゃんのガンが発覚してからというもの、親子を支え、励まし、応援し続けた。
『神様は乗り越えられない試練は与えないんだよ。だから愛は絶対にガンを乗り越えられるんだからね。』
これが入院した愛ちゃんに、佐藤先生が頻繁にかけていた言葉だった。
その言葉を心に留め、辛い治療を乗り越えて無事に退院した愛ちゃんは、奈美に向かって、こう呟いた。
『わたしは神様に病気を与えられてしまったけど、人生も与えてもらったわ。』
二人は今も佐藤先生との交流が続いているのだが、奈美は佐藤先生のことをこう話す。
『入院中も退院後も受験中も今も、そしてきっと今日も、愛と私を支えてくれてた。いつもいつも私たちを支えて応援してくれるから、私たちが先生に感謝しているのに、なぜか先生が私たちに感謝してくれるのよ。先生は私たちから、勇気と元気と人生を貰ってるって言って下さる。本当に素敵な大好きな先生だよ。』
人ってホンマに凄い
二人の支えは、佐々木先生の他にも大勢の人がいる。なかなかここでは書ききれないが、医師や看護師さん達はもちろんのこと、愛ちゃんの学校の先生やお友達、そして奈美のママ友たちだ。
奈美のママ友は、『愛ちゃん、今日はどう?』と、奈美がいつでも気持ちを吐き出せるように、色んな形で誰かが声をかけてくれた。
パート帰りで疲れた奈美を待ってくれていたかのようなタイミングでご近所まで会いに来てくれる人もいた。
そんな周囲の人たちの多くのエピソードを話してくれたあと、奈美は一言一言を噛みしめるように、こう言った。
『人ってホンマに凄い。人の力って…凄いねん。みんなが周りにいてくれて、ずっと支え続けてくれていたから、愛も私も頑張ってこれた。本当に感謝しかないわ…。みんな私ら家族のことを、がんと闘って凄いって言ってくれるけど、みんなの方こそホンマに凄いねん。みんなはいつも寄り添ってくれて、心が折れそうになってた私の心を治してくれてたから。感謝してもしても、しきれへんわ…。』
信じる力と感謝の心
『信じる』『感謝』という言葉を、口にするのは簡単だ。
一方で、愛ちゃんの『信じる』や、奈美の『感謝』は、言葉の重みとでも言えばいいか…なかなか形容しがたいエネルギーに溢れ、私の心は大きく揺さぶられた。
愛ちゃんは佐藤先生の言葉を信じ、
100点を取れた努力の力を信じ、
病気を通して多くの試練を与えた神を信じ、
その試練を乗り越えられると自分を信じてきた。
奈美もそんな娘を信じ、共に支え合いながら、
周囲の愛情に心から感謝し、人の素晴らしさ、
人の優しさの力を噛みしめて生きている。
そして私は、想像を絶する日々を、笑顔で生きようとする二人の『笑う門には福来る』の何たるかを学んだ。
二人の『笑う』は、ただただ笑っていれば…と過ごせる状況ではなかった。予測のつかない、終わりの見えない苦しみの真っ只中では、たとえ意識的に笑おうと頑張ってみても、実際には不安や怖れの方が勝ってしまう。
そんな強烈な不安や怖れを、『私ならきっと越えられるはず…』『いや、超えられる!!』という心で打ち消し続けなければ、なかなか『笑う』ことはできない。
二人がおまじないのように交わす笑顔の奥で、それぞれの心は常に不安や怖れと向き合っていたに違いない。支えてくれる人たちの愛を糧にしながら。
だからこそ、愛ちゃんは『人生を与えられた』と言い、奈美は人の愛が心に沁みるのだ。
ここで奈美の言葉を借りよう。
『人ってホンマに凄い!』私も心底そう思う。
愛ちゃんが高校の授業で、税金についての作文を書いたのだが、その中にこんな想いをつづっている。
『税金のおかげで一生治らない後遺症を抱えた私も、安心して生きていくことができます。毎月一定の金額で検査を受け、お薬を飲み続けることができています。税金を納めて下さっている皆さんのおかげです。本当に心から感謝しています。』
愛ちゃんはこの春から福祉関係の専門学校へ入学する。
佐藤先生に言われた、この言葉を胸に。
『神様は愛に試練を与えたけど、この体験を社会に返していける力も、愛はちゃんともってるんやで。』