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山よりも高く、海よりも深い恩【承久の乱/本郷和人】

 鎌倉に行けないでいるので、渋々と言うか嬉々としてというか、鎌倉関連の本を読んでいます。

 こちらはkindleアンリミテッドの中にあった1冊。

 著者の本郷和人氏を、今年1月にNHKBSプレミアムで放送された『鎌倉殿サミット2022「源頼朝 死をめぐるミステリー 日本史上の大転換点」』でお見かけして、以来、著作を読んでみたいなと思っていました。
 番組では意見を言うパネリストではなくアンバサダー的な立場だったと思います。

 この番組は、様々なスタンスの研究者の方々が出演されていて面白かったです。国際日本文化研究センターの所長さんである井上章一氏、「政子の評価を改めるべし」というジェンダーの側面から中世史を研究する野村育世氏、今回の大河の監修をしている坂井孝一氏、佐伯智広氏、近藤成一氏、長村祥知氏。みなさんそれぞれの見方で中世史を研究していらっしゃって、著作も多い方々。それぞれの方の著書を読んでみたくなりました。

 番組の中で、博物館学芸員である長村祥知氏が「北条義時の姿が描かれた絵巻(承久記絵巻)を発見した」と紹介されたときに、「大学生のころから承久の乱に関心があった」と発言されていて、えっ、と思いました。

 承久の乱に目をつけるとは、なぜに。

 この本でも、本郷氏は、自身が鎌倉時代専門の研究者であり、やはり「昔から承久の乱に関心があった」と書かれていて、また、えっと思いました。

 イイクニツクロウと学校で勉強していた時代はるかむかし
 学校のテストに出るのは鎌倉「幕府」成立年や、御恩と奉公、北条泰時が御成敗式目を制定したことなど。
 北条時政のことは書かれていますが、義時のことはサラッと触れるだけ。
 頼朝=武士の時代を作った人、と言う認識でマルだった気がします。

 正直、今年の大河が発表になった時には「えっと、ヨシトキ…って誰だっけ。北条、トキが多すぎて…」状態だった人も多かったはず。

 中世の魅力の虜になった方々は、まだ年若い頃から「承久の乱」に胸をときめかせています。それとも、日本史好きは結構な確率で「承久の乱」に心惹かれるものなのでしょうか。
 まさか教科書の記述から、この乱が「坂東武士バトルロワイヤル」の最終決戦であり、ラスボスは朝廷という大舞台。しかも自分から仕掛けたのではなく、売られた喧嘩で圧勝と言うドラマ性があることを、感じ取っていらしたのでしょうか。でもきっと、三谷さんもこの中のお一人なのでしょうね。  

 私も、今なら「承久の乱」が興味深い歴史のターニングポイントだったということがわかりますが、桶狭間とか関ヶ原などの派手な戦乱に目を奪われ、ジョーキューには何も感じ取れなかった身としては、なんと深い歴史の滋味を味わっていらしたのかと感心するばかりです。

 この乱は、「朝廷は偉い、歯向かってはならない」という概念が崩れた最初の事件でもありました。西と東の価値観が変わってしまう、大事件。だからといって坂東一強となったわけではありませんが、絶対的な権威だと思っていたものが「永遠不変ではない」という実感を得たことは、大きなエポックだったと思います。

 これをきっかけに、日本と言う国のメインプレイヤーが貴族(見たこともない殿上人)から武士(すぐそこにいる在地領主)へ、そしてそれ以外の一般の民へと広がった画期となった、と本郷氏は述べられています。

 ところで承久の乱に出兵する際、政子が演説して御家人をまとめた、という有名なお話があります。

頼朝様の御恩は山よりも高く、海よりも深い

 という、有名なあれです。
 もう「承久の乱」と言えばあれでしょう、というくらいの名場面です。

 記述はいくつかの史料に出て来るので史実のようですが、教科書には「政子」の「ま」の字も出てきません。先ほどの長村氏が発見された「承久記絵巻」にもそういったシーンはないようです。

 実際、この本によると、政子は演説をぶったわけではなく、御簾越しに安達盛長の息子が伝えたそうなので、なんにしても、軍記物語や日記などは、「ご都合次第で、盛る」のがお約束だったのだなというのも、改めて感じたことです。やっぱり自分達に都合のよい、面白い物語が欲しい!それが、人間の変わらぬ思い、なのかもしれません。

真実は人の数だけある。
『ミステリと言う勿れ』久能整

 こちらの『承久の乱 日本史のターニングポイント』。本郷氏は一般に読まれる平易な本をということで執筆されたということで、歴史初心者にもわかりやすく書かれていて有り難いです。今回の大河ドラマを観ている方ならなおさら理解が進むこと請け合いです。そしてこの本を読んでから教科書を読むとなお、面白いです。

***

 先週の鎌倉殿。

 梶原景時が訴追されて打たれる直前まででしたが、来週はおそらくナレーションで顛末が語られる予感がします。

 なんか展開速いですね、もう景時、退場なんだ…

 梶原景時が反乱を企てたとも、京都に行こうとしたとも両方の説があるようですが、今回の三谷さんの脚本では後鳥羽上皇からのスカウトがあった、という解釈でした。
 スカウトを義時に自慢して窮地に陥り、自嘲気味に自己分析するのがいかにも「らしい」気がしました。

 番組最後の「ゆかりの地紹介」のコーナーで、「建長寺に景時の霊が来るため法会が営まれる」という話は知らなかったので、ほぇ~と思いました。法会だけに。つまりは北条方の罪悪感の証明なのかもしれません。

 ドラマでは、梶原景時から「善児アサシン」を譲られた義時。
 いよいよ義時のターンになってきましたね。

 正直、景時にとどめを刺すのが、景時が子飼いにしていた善児なんじゃないかと恐ろしかったので、それはさすがになさそうかなと…
 …ないよね…

 ということで、また来週。






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