少女漫画の神様は最後に希望をくれる【萩尾望都】
萩尾望都さんの漫画については、これまでいろいろなところで数々の投稿がなされていて、今更私が何かを付け加えるまでもありません。でもやはり(シミルボンの)連載には欠かせない漫画家さんだったので、大変僭越ですが、取り上げることにしました。
実は私、少女漫画の神様、と崇められる萩尾先生の作品で、リアルタイムで読んだとはっきり言えるのは『イグアナの娘』と『マージナル』だけです。『ポーの一族』も『残酷な神が支配する』も、ずいぶん大人になってから読みました。
ひとことで言えば、怖かったのだと思います。
以前取り上げた山岸涼子さんの漫画に感じた怖さとは違います。
映画『ベニスに死す』『モーリス』みたいな耽美なニュアンスがあり、絵が好みでなかった、というわけでは決してないのですが、なにかとても心を抉るものがある、というか。「あ。なんか、触らんとこう」と思ってたとこに触らされるというか、誘導させられるというか。
そんな感じがいつも、ありました。
山岸さんのような「ヒヤッ」ではなく「イタッ」みたいな。
ごく最近『残酷な神が支配する』を読み返したのでそれを中心に書きます。
1997年、第一回手塚治虫文化賞優秀賞を受賞しています。
ほんっっとうに、手塚治虫文化賞にはハズレがないですね。笑
萩尾望都さんの漫画は、初めて出会った頃から「なんて小説的なんだろう」と感じていました。小説の挿絵がどんどん小説を侵食して漫画になった、みたいな。
そしてよく言われますが親との関係が、ものすごく繊細にしかし細部まで正確に克明に(しつこいですね)エグるように描かれます。精密動作性A、という感じです。
『毒親』という言葉が聞かれるようになってだいぶ経ちますが、その言葉が世間に知られるずっと前から、萩尾先生は『毒親』を描き続けています。
『残酷な神が支配する』という作品は、義父に性的虐待を受けた少年をめぐる話です。
少年だけではなく、登場人物のほぼすべてが「虐待を受けた子供」として描かれています。少年を虐待するサディストで性倒錯者であった義父にしても、そうです。
主人公は二人で、義父に虐待を受けた少年ジェルミと、その義父の実子でジェルミには義兄にあたるイアンです。
第一話の冒頭が、義父の葬式のシーン。
ジェルミを中心にその葬儀に至った経緯がまず克明に描かれ、その後、父親の隠された顔を知ったイアンが、ジェルミをトラウマから回復させる経緯が詳細に描かれていきます。
名場面の連続なのですが、いちばん印象に残っているのはイアンがジェルミに受けた虐待を正確に自分に話せ、と迫るところです。ここは実は、単行本にして1巻か2巻かを費やしていて、とにかくどうしてこんなに長いんだろう、どうしてこんなに被害者に「もう一度再現」させるんだろうと思い、もういいじゃないか勘弁してあげてと、反発すら感じたところです。
もしかしたらこれは意図的なことで、被害者が事件の後も思い出すことで何度も何度も苦しむことを追体験させられているのかも、と思ったりもしました。これはきついです。
虐待を受けたことを打ち明けられないだけではなく、被害者であるのに加害者であるかのように自分を責め、精神的に不安定になり追い詰められているジェルミ。
義父と母の死が、それに追い打ちをかけ、暗い闇に彼を引きずり込んでいきます。
義父は死んでなお、ジェルミにつきまとい、執拗にジェルミを責め立て、彼に安息を与えません。彼はひどい心の傷を負い、人を信じること、愛することが全くわからなくなっています。
当初父親の潔白を信じジェルミを恨んだものの、事実を追求するうちに父親の裏の姿を知り、彼を救いたいと思う義兄のイアン。
イアンは巻き込まれていき、自らの健康を損ね、命の危険も顧みずジェルミを献身的に救おうとします。
しかしそれはある種の暴力でもあり、支配でもありました。
虐待なら暴力であり支配なのはわかります。でも、愛情から人を救おうとする献身でさえ、時には暴力や支配になり得ることをイアンは知り、葛藤します。
愛と暴力・支配との区別がつかないジェルミ。次第に愛がわからなくなっていくイアン。ぼやける現実とリアルな幻覚の間を彷徨うふたりのもがき苦しむ姿が延々と描かれているのは、実のところ辛かったです。
ジェルミは次第に、虐待を繰り返した義父だけではなく、自分の境遇を知りながら無視した母親とも向き合うことになります。
彼は「子供を親に育てさせちゃいけない」と言います。
相手を救おうとしながら、次第に自らの過去と向き合い、幼い頃の心の傷を受け入れたイアンは、「子供は親の神への供物であり、親の人生の供養として存在する」と言います。「そして親の親のそのまた親も誰かの子供であり生贄だったんだ」と言います。
彼は愛をもって親を許そうとし、ジェルミの回復を支えようと決めます。最終回にはすっかり回復してめでたし、とはなりませんが、未来への信頼と希望のある終わり方でした。
しかもこれが最終巻を除けばたった1年半ほどの話です。濃密すぎて圧倒されます。
『マージナル』についても書きたいことが色々あったのですが、なんだか字数的に難しくなってきました。
あらすじは割愛します。この物語のヒロイン(一応性別は男性)のキラは子供であると同時に母親でした。男であると同時に女でした。マージナルに出て来る人物は皆、どこか「どこにも所属しきれない」存在で、常に「母なるもの」を求める存在でもあります。
マージナル・マン、というのは、もともとは社会学で「文化の異なる複数の集団に属し、そのいずれにも完全には所属することができず、それぞれの集団の境界にいる人」を指す言葉ですが、心理学的には心理学者のクルト・レヴィンが「子供ではないが大人にもなっていない青年期」を指す言葉として使っています。
萩尾望都さんの作品の多くは、この「青年期」を描いたものが多く、様々な立場の、親、とくに母親との葛藤が描かれるものも多いです。
人々の思惑が複雑に入り組んでできていて、『マージナル』にせよ『残酷な神が支配する』にせよ、小説化すると、物語の序盤に説明的な文章が続き、かなり周到な伏線を用意しなければならないと思いますが、漫画だからこそできる表現で、巧みに状況を説明し、群像を描き出しています。
萩尾望都さんは、すごく小説的なんだけれども小説にしたらめちゃくちゃ大変やん!という物語をコマとセリフと表情でさばいてしまう稀有な作家さん。
さすが、文学を生む極上の手さばき。匠。
『少女漫画家の神様』の生み出す作品はどれも、読み応えたっぷりです。
<了>
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