馬と鹿【A.I vs 教科書の読めない子供たち・A.Iに負けない子供を育てる/新井紀子】
と、まことしやかに言われて久しいですが、この本では「そんなことはまずもって無理でした」としょっぱなから大却下されます。
新井さんは数学者です。数理論理学がご専門。人工知能は専門ではありませんでしたが、2011年から「東大に入るA.I」、「東ロボくん」の開発に携わります。
「東ロボくん」は2015年には偏差値57くらいになったのですが、国語の偏差値はどう頑張っても50以下、「問題文が読めない」「文脈を理解できない」ことがわかり始めます。問題文がわからないまま、ビッグデータから計算力と暗記力でそれらしい回答を導き出すA.Iでは、どうしても東大に入れる読解力レベルにはならない、と判断されるに至り、2016年に「東ロボくん」の開発は中止になりました。
しかし「東ロボくん」の開発中、文脈が読めないA.Iよりも読解力のない学生が多数いることに新井さんは愕然とします。
調査をすると、どうやら中高生のほとんどが、暗記や計算力に頼って文章を読んでいるらしいことがわかりました。計算力や暗記力ではA.Iに太刀打ちできないのは明らかです。そこで新井さんは「リーディングスキルテスト」を開発し、現在は若い生徒・学生の「読解力育成」に力を注いでいらっしゃるようです。が。
2021年1月のプレジデント・オンラインの記事。
「私立文系しか」という部分が気になりますが、記事の大半は、2冊の本に書かれたことの要約です。
こちらの記事で現在の子供たちの「読解力」は深刻で、A.Iがどうとか言っているレベルではない、と憂いていらっしゃる様子からすると、続編の【A.Iに負けない子供を育てる】が2019年刊なので、そこからさらに深刻度は増しているようです。
続編【A.Iに負けない子供を育てる】は、【A.I vs 教科書の読めない子供たち】と内容は大きく変わりませんが、最初の本で紹介しているテストがより詳しく紹介・解説され、実際に簡易版の「リーディングスキルテスト」を受けられるようになっています。
初めてこの「簡易版テスト」をしたとき、占いかと思いました。
ここまでお見通しになられるとは。いやはや感服いたしました。
ちなみに、この本における「読解力」は、たとえば文学作品を味わう、といったような読解のことではありません。
たとえば最も身近なところだと、学校の教科書。食品などに添付された注意書きや、家電等の「トリセツ」と言われる「取扱説明書」。各種契約書。税金など行政関係の書類など。さらに、研究論文やさまざまなデータを取り扱った書籍など、つまりは主に「説明文」の読解です。
これらの書類は生活と切り離すことのできない文章です。小説や随筆を「味わう」ことができなくても、これらの文章がわからないと生きることに困窮します。日常生活は何とかなっても、仕事となるとミスは命取りです。ミスしないA.Iでまかなえる仕事が増えれば、必然的に人間が食いっぱぐれる、というのが新井さんの主張です。
読書が趣味で知識も豊富、仕事もバリバリとこなし「読解力」には自信がある方でも、以下に示した6つに分類されよく練られた「問題文」にうかうかと引っ掛かり、意外と「読めていない」ことがあるそうです。よく読めば正解できることを、読み飛ばしたり思い込み(バイアス)で勘違いしたりということも多々ありますが、とにかくよくひっかかる、とは本の中でも、上の記事でも、新井さんが指摘する通りです。
要素別点数法で私が属したタイプを、新井さんは「この本を手に取る可能性があるタイプで最も多いタイプ」といい、「高校1年までには数学が苦手だなと感じ始めたのではないかと思います」(その通り!!)。最後には「情報過多で論理力不足」と、バッサリ。完全に水晶玉を前にした占い師状態です。会ってもいないのに。
「簡易版だし」と、軽い気持ちでテストを受けると、大人になってからは人に弱点をいきなり指摘されるようなことはなかなかないので、社会人としてのなけなしのプライドがずたずたになります。笑。
しかし弱点というのは、自分でも「そうかな」と思っていても、指摘されないと直そうとはしないものです。
心強いことに大人になってからも努力次第で「読解力」を向上させることができるから諦めないでほしい、とのこと。
実際に「きちんと内容を理解し、間違いに気づき、訂正することができる」能力は仕事の出来に直結します。
続編【A.Iに負けない子供を育てる】の後半は、いかにして子供たちの「読解力教育」をしていくか、に、ほとんどのページが割かれています。かなり具体的な案です。
大人の「読解力」を上げるために、かつての教え子の実例を紹介し、試行錯誤しながら彼のスキルが上がっていった例も紹介しています。このままではいけない、という危機感がひしひしとつたわってきます。
最も興味深かったのは、新井さんがA.Iはしょせん機械で計算機と考えていることです。そのため、学校の学習でA.Iを活用する方法には批判的です。
もしA.Iを活用するとするなら「高校の統計での大規模データの分析」「日本語が母語でない生徒への支援」などわずか6項目と、極めて限定的です。それ以上のIT投資はムダ、と言っています。
大金を投入してITを学校に導入する実証実験が行われたが、それらの学校で学力が向上したという話を聞かない、などいくつかの例を挙げて、バッサリ。
新井さんは「基礎的・汎用的な読解力があれば自学自習することができる。大学の試験は教科書以上のことは出ない。教科書と最低限の副教材をきちんと読んで理解することができれば、旧帝大くらいは入れるようになっている」とおっしゃいます。
さらに、これからの日本の課題を解決するのに、「親の年収が1500万円を超え、「就学援助」とか「無母語児」にも接したことがなく、半径10キロ以内にコンビニもないような、過疎のため鉄道が廃止された地域を見たことも聞いたこともないようなエリート集団に、この国の複雑な課題が解決できる気がしない」(この例もなんだかな…ですが)と。
もっと多様な人材を生み出すためにも、特に地方の学生が「基礎的・汎用的な読解力を中学卒業までに身に着けること」が急務である、と続いています。「(基礎的・汎用的な読解力を)しっかり身に着けていれば、将来どのような職業につこうとも(職業選択も幅広く選ぶことができ)、社会に貢献することができる」。そう、新井さんは自信をもって強く主張されています。
しかしどうなんでしょう。多様な人材、というならばやはり「しか」はどうでしょうか。すみません、ちょっと「しか」にこだわりすぎですかね。さすがに「帝大くらい」とか「しか入れない」はどうなんだろうと思ったので。深刻さを強調して危機感を際立たせるための誇張だとは思いますが、なんとなく、視線が偏差値偏重で「馬(サラブレッド)」=「エリート」のほうばかりを向いているような気がしてしまいます。
むしろ、賢い方には、A.Iを組み込んだ上での仕事の創設、大学教育の見直しを考えてもらいたいです。地頭で決まるのではなく、読解スキルは上げることができる、ひいては他の分野の学力も向上する、という、これだけ素晴らしい研究成果からの画期的な提案ですから、この先、おそらく「しか(鹿)入れない人」の集まりだと新井さんが指摘する多くの大学の学生も当然底上げされスキルアップしていくはずです。
IT(A.I)には限界があって、人間を超えることはできない、人間と同等の「読解力」はない(から仕事にはつかえない・人間を教育するまでには至らない)、にもかかわらずその読解力より劣る人間が増えている、ということは確かに深刻なことですが、そこまで機械に期待しないほうがいい、と言っているのに「仕事を奪われる」というのはちょっと矛盾するような気がしました。今の仕事って、そんなに「論理的かつ正確な仕事」ばかりなのでしょうか。
というのも、以前、「LINE」のカスタマーサービスを利用することがあったのですが、すべてA.I対応になっているLINEのカスタマーサービスは気持ちの良いものではなかったからです。
最終的に、私が知りたかったことはわかりませんでしたし、たとえ相手に「読解力不足」により知識や言葉が足りなかったとしても、自分の「読解力不足」により、質問がちょっと論理的ではなかったとしても、人同士ならなんとか折り合いをつけられる部分があったのではないか、と思ってしまいます。
事実だけを一方的に伝えられる不気味さより、つたなくても人間と人間のコミュニケーションがいいというのが実感でした。
とはいえリーディングスキルテストとその解説については「説明文を読む限り」においては鋭いご指摘。確かにこうした読解スキルは磨いたほうがいいのは間違いありません。
新井さんやこちらの著書やテストには色々批判もあるようですが、せっかくなのでこれはちゃんと活かしていくべきだという気がします。もしかしたら「しか」などというスパイシーな表現を用いなければ、もっと興味を持ってくれる教育現場の方もいらっしゃるのではないか、などと思ってみたりもします。
さて、このテストで「全低型」、つまりすべてにおいて点が低く、このままではかなりヤバい層の特徴は、このように記されています。
このテストが正確ならば、この文章から思い当たる人のテスト結果はそれに相当すると思われます。相関関係が必ずしも因果関係を意味しないとしても、不安です。非常に不安です。いや、私はもう試験は受けないので私のことではなく、我が家の…
END