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mirabilis feles 本質を生きる美しいギフト その神秘 Ⅴ

猫の生まれ変わり
形とエネルギーの神秘の相関
生まれ変わっても魂の本質、エネルギーは変わらない。

今日は今年最後の満月、コールドムーンである。

数年前の、その年最後の満月の日はとても12月とは思えない、暖かい日だった。

その季節外れの日差しの強さ暖かさ、そのせいもありほんとうに現実感がなく、いまでも悪い夢のような気がしている。

以前と瓜二つの承

写真で比べれば比べるほど、あまりにも完璧に造形が重なるのだ。
造形だけではなく、しぐさ、動きなどの「表現」までそっくりだ。

人と違い、マナーや余計な自意識がない動物の表現は、ほんとうに自然な発露である。

動物の造形や表現は、その個本来のエネルギーの顕現といえるだろう。

わたしは承の存在にエネルギーと形、その相関の神秘を強く感じている。

猫は美しく愛らしいだけではなく、神秘的である。
その造形の源であるエネルギーも、また美しく神秘的である。

全身から、まるで別次元と繋がっているような、神秘的なエネルギーを発している。

特に古来から月に例えられてきた、光によってかたちを変化させるその瞳。

また猫の唾液は、通常は無臭で、その成分に殺菌作用が含まれているため
消臭効果があり、毛づくろいによって自ら臭いを消すことができるのだ。

ほんとうに生き物としても、スペックが高すぎである。笑
古代エジプトでは神としてあがめられていたことも納得する。。

その形でしか、発することのできないエネルギーが存在する。
同時にそのエネルギーでしか、形作れない造形や表現が存在すると感じる。

*形を通して情報を送受信する。
*形そのもの、その形を取り巻くエネルギーフィールドが情報を送受信する

前者の、言語化された発信内容を受け入れるか否かを識別しているようで、実はそうではないのかもしれない。

わたしたちが、直観として無意識に受け取って判断しているのは、
むしろ後者の割合が大きいのではないのか。

それは主に感覚的な何となくの好き嫌いとして、自覚される。

何を言うかではなく、誰が言うのか、が大事なのだから。
それは実際に人となりを知っている相手だとわかりにくいが
よく知らない人の発信を受け入れるかどうかの判断は、
その直観による識別に頼っていると感じる。

自分のスタンスとは相容れなくても、自然に惹きつけられることもあれば
意見としては同じなのに、なぜか惹かれるどころか拒絶反応が起こることもあり、実際は内容以前の問題が大きいとおもう。

黄金比のように、誰もが美しいと感じる形には一定の法則性が存在するように、形や表現というものは、すべて自然法則のあらわれなのかもしれない。


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