引っ込み思案の娘が変わった日
前回のnoteで娘がリトミックに行った日のことを書いた。
引っ込み思案の子が先生の声掛けでリトミックに参加できた日の出来事。
今日はその続き。
人生には「あれがターニングポイントだった」と思う出来事がある。
子育ても「ここがポイント」という出来事はあるもので、それを直感的に見極められたら少しは親も子も楽になるんじゃないかという思いを込めて書いてみたい。
それ以外は手を抜いたっていいんだよっていう自分への言い訳とともに。
極度の怖がりの娘は滑り台が滑れなかった。
厳密に言うと滑れていたけれどもざーっと勢いがつきすぎたことがあって怖くて滑れなくなっていたのだ。
それが2歳くらいのとき。
彼女よりも小さい子を含めて他の子が楽しく滑るのをしり目に、決して滑ろうとしない娘との公園は自分の子の「できない」をつきつけられるようでなかなかキツイ時間だった。
とにかくしゃべれない歩けないが長すぎて「できない」が多すぎたのだ。
とはいえやりたくないものはやりたくないだろうし、滑れないからといって無理にやらせてもしかたないので放っておいた。
高齢母にはめんどくさいことをする気力がないのもある。
ただ、娘には「滑りたいと思ったらお手伝いするから言ってね」とは伝えておいた。
そして初めてのリトミックの帰り道。
当時娘は3歳半を過ぎたころ。
その日はまだ春浅いうすら寒い日だった。
日もだいぶ陰ってきていた。
私は頭痛がしてきていて家まで遠いし早く帰りたかった。
駅までの途中に公園がある。
すると娘が言った。
「滑り台したい」と。
滑りたいと言い出すことはこの先ないと思っていたから、正直驚いた。
寒いし暗くなってきてるし頭痛いしで早く帰りたかったけれども、私の直感がこういうのだ。
「ここでチャレンジするかどうかがこの子のこの先を決めるのかもしれないよ」と。
だから付き合うことにした。
まず滑り台の階段を登る。
登って途中まで行ったらやっぱり怖いので降りてくる。
それを何度も繰り返す。
そのうちに上まで登れるようになった。
当然のことながら登ったら滑る…でなくまた階段を下りてくる。
これまた何度も繰り返す。
頭痛い。寒い。早く帰りたい。薬持ってくればよかった。
けれども子のチャレンジを見ているとそんなことはどうでもよくなった。
何度目かに上まで行ったときに
「滑るときは手を繋ぐからね」と声をかけた。
頷きながらもまた階段を下りる。
たぶん階段の上り下りだけで30分はかかっていたと思う。
しばらくすると震える足で滑り台の上に座った。
私が手を伸ばすと小さな手を差し出した。
両手で身体を支えながら下まで一度行く。
「もう一度やってみる?」と聞くと頷くもののまた階段を下りる。
しばらくするともう一度階段を登り今度はゆっくり下まで一緒に行く。
それを何度も繰り返した。
「夕焼け小焼け」のチャイムもなった。もう5時か。
しばらくすると「一人で滑る」と言った。
手を離すと…しばらくてっぺんに座ったまま。
そして、意を決したように滑り出した。
シューっと滑り、無事に下まで到着。
「滑れたね!」「やったやった!」と二人で喜び合う。
そこからは「もう一度!」と言い何度も何度も滑る。
気のすむまで滑ればいい。
たぶんリトミックに参加できたことで、
何かが彼女の中で動いたのだろうと思う。
この後も挨拶ができないとかまだまだできないことは多いのだけれど、
「勇気を持ってチャレンジする」ということを彼女はこの日体感したのだろう。
子育てしていて「あの時」がターニングポイントだったという出来事があるとすれば、娘にとってはこの時だったのだろう。
「寒いし頭痛いし疲れているから帰ろう」と言わなくて本当によかったと今でも思う。
もちろん母親だからと言っていつでも子に合わせる必要はないし、言って帰っていい日もあるわけだけど、あの日は違ったのだ。
自分の直感に従ってよかった。
あの直感は神様からのプレゼントだったのかもしれない。