一年半ほど前から書道を始めた。 前からやってみたかったけれどなかなか踏み出せずにいた。 「この人につきたい」という先生がいなかったのが大きな理由。 ある時、よい先生とご縁ができて、無事に習い始めた。 私が習っているのは中国書道。 中国書道を習いたかったわけではないのだけれど、 先生で決めたら結果そうなっていた。 甲骨文という一番古い文字から臨書していく。 殷時代後期の頃というから、今から3300年ほど前の文字。 前回の発表会は甲骨文を書いた。 今回は金文。 金文は時代が
29年前、1995年の1月17日阪神淡路大震災が起こった。 朝、会社に行く前にテレビをつけたら、あろうことか神戸の街が燃えていた。地震が起きたとアナウンサーが告げている。 関西出身の私は、関西は地震が起きないところという認識だったから、にわかには信じられなかった。 「神戸が燃えている!」と妹に叫んだのを覚えている。 知人の無事も分からないまま呆然として会社に行き、仕事に取りかかる。 当時勤めていたのは、CD制作などをするエンタテイメント系の会社。 まだぴよぴよに近い社会人だ
毎年、年初めには今年やりたいことを書いている。 どのくらい実現したか、叶ったかは年末にチェックしている。 これが思いのほか実現したり叶ったりして毎年ちょっと驚く。 なかには数年越しで叶うものもある。 書くと意識がそこに向くし、叶うのにはタイムラグがあったりするから、「目標達成!!」みたいなものでなければ長い目で見ることも大事だなあと思う。 反対にチェックがなかなかつかないこともあって、よくよく見てみると、「やりたいこと」ではなくて「やらねばならないこと」だったりしてあちゃ
今年も朝早く起きて娘のお弁当を作る生活をした。 娘の学校は登校が早い。 しかも部活で早く行きたーい!と言われることも幾度となく。 ああ、カフェテリアのある学校に行ってくれていたら。 と何度か思った。 小学校時代の給食が懐かしい。 そんなある日、「せっかく作るなら楽しく作ったほうがいいよね」と思い立つ。 メンドクサイと思いながら作るお弁当と楽しく作るお弁当では味も違うんじゃないかしら…と思ったのだ。 もともと「無理はしない」をモットーにしていた。 学校からも「最初の内は買
今年一番買ってよかったものはなんだっただろうと考えた。 沖縄行きのチケットだったり、クライアントさんたちへのプレゼントだったり、身体を整えるヤムナボールだったり、数々の本だったり、勉強のための講座だったり、まだまだある。 いろいろあるけれど、一番はサントリーホールでのベルリンフィルのコンサートチケットじゃないかしらと思った。 S席。高い×2枚。娘の分と私の分。 ものとしては残らない。 何かの技能としても残らない。 たった2時間半ほどの体験のために使うお金としてはたしかに高
よく行く散歩コースの中に神社がある。 由緒正しいそこそこ大きな神社。 なんでも霊験あらたからしい。 個人的には、神社に行く行かないはどちらでもいいと思っているけれど、 その神社は気分がよくなるので時々行っている。 そして、願い事ではなく「ありがとうございます」とお礼を言ってお参りをする。 いつだったか、ある人から「神社の神様はお願い事ばかりで疲れているからむしろパワーをこちらから送るくらいでいくといいよ」と聞いてからそうしている。 そういえば、お正月は「これ叶えてあれ叶えて
思考をできるだけ少なくする時間を持ちたくて、最近は自然の中によく行くようにしている。 私の住んでいる町は、それなりに都会でそれなりに自然がある。 10分もあるけば駅で、逆側に10分も歩けば自然溢れる公園がある。 その公園に行って、緑を眺めたり水の流れる音を聞いたり、鳥のさえずりを聞いたりするのだ。 先日も散歩に行ってふと顔を上げた。 そのまましばらく空を見ていた。 見ていたというよりも目に入るものをぼーっと眺めていた。 そのときは思考もなく言葉もなくただ眺めていた。 ふと
最近、中学生の娘の調子があまりよくない。 学校に行けないこともある。 昨日も朝起きられず、起きて電車に乗ったところ、具合が悪くなり学校に予定の時間を大幅に過ぎても着かなかった。連絡も取れず、学校とは連絡をとって先生にも探していただくことになった。先生には本当に感謝しかなく。 そんなバタバタしたなかで、やることをやりつつ 何をしているかといえば、自分の中で起きていることを見ている。 昔、仙人のような人に言われてから20年近く、好奇心もあってやっている。 昨日だったら、心配し
私の職業はコーチ。キャリアコンサルタントでもある。 産業カウンセラーも資格は取った。 目に見えない世界の勉強や修行もずいぶんとした。 正直なところ、クライアントが幸せになるならコーチだろうがカウンセラーだろうが手段はなんでもよいし、一つに限定することもない。 そのコーチングで時々ある質問に「あと一年しか残された時間がないとしたら?」というような質問がある。 期限を区切ったり、先がないと思うことで本当にやりたいことが出てくるであろうという意図からこういう質問をする。 頭で考
コロナがどういうものか少しずつ分かってきて、いろんな規制がなくなって、日常がだいぶ戻ってきた。 2020年、娘が小学5年生の2月末に一斉休校が突然発表になった。 3月から3か月間学校がなくなってしまった。 始めの頃は中学受験塾が対面でやってくれていたから、それには通っていたが、しばらくするとそれもなくなってしまった。 娘が家にいるので、私もできるだけいた。 学校だけでなく「ステイホーム」の掛け声とともに、人間の活動自体もかなり静かになっていた。 一斉休校が必要だったかどう
最近、自分の10年後が楽しみになってきた。 10年後には立派に60代。 その頃に日本が戦争をしていないとは限らないし、がんサバイバーでもある私はいつ何がどうなるか分からないことは身に染みて知っている。 「今」を楽しむことが大切だとも思っている。 それでも楽しみなのだ。 どうしてかというと、書道を始めたから。 10年後に自分がどんな書を書くのかが楽しみなのだ。 この書道、やりたいと思いながらも始めたのは遅まきながらこの3月から。 やりたいことはやりたいと思ったときにやるのが
ここ最近、カルト教団というものの恐ろしさや理不尽さが世の中に知れ渡るようになった。 その話題を目にするたびに記憶の底からある光景が立ち上がる。 それは高校時代の友人たちの笑顔。 高校に入学して、仲良くなった人たちがいた。 思春期というのは「グループ」があり、中学でも高校でも「グループ」に属していないとダメなのかなというような思いが私の中にあった。 たまたま仲良くなったグループのメンバーは善良で優しい人たちだった。 穏やかに話し、人のワルクチは言わず、何かへの批判もしない。
子どもが成長するにつれて、一緒に過ごす時間は減ってくる。 赤ん坊の時はあんなに離れて1人になりたかったのに。 近所のカフェで一人になったときは涙がでるほど嬉しかった。 でも、時が経つのは早いもの。 永遠に同じものなんてない。 娘もいっぱしの中学生。 とはいえ、今ならまだ一緒に旅行に行ってくれるだろうということで、京都に行ってみた。 娘の予定に合わせての日程だし、桜前線は気まぐれだから桜は期待していなかったのだけれど、一生分の桜を見たというくらい桜を満喫した旅になった。 お天
4月1日。入社式の日。 いまから何十年か前、私も新卒で入社式を迎えた。 当時としては人気企業で倍率もそれなりに高かった。 高倍率を潜り抜けてきた新卒の社会人を目の前にして社長は言った。 「もし、この会社が合わないと思ったらすぐに辞めるほうがいいです。 人生には違う道というのもある。無理して合わないところにいる必要はないですから。すぐに辞めたほうが自分のためです」 といったような言葉だったと思う。 入ったばかりの社員を目の前にして何ということを言うんだと当時のまだ若かった私
3月10日は東京空襲があった日。 東京は10万人以上の人が亡くなり、街は焦土と化した。 そして今もまた爆撃されている都市がある。 今まで第二次世界大戦後も世界のどこかでは爆撃がなされ、戦争が起きていた。 人類というのは進化しないものなのだな。 と思い、学生時代に恩師が言っていた言葉、今も私が大切に思っている言葉を書いておきたくなった。 私は学生時代は哲学を専攻していた。 恩師は当時フランスの哲学者辞典に載っている唯一の日本人哲学者なのだと弟子である講師が嬉しそうに教えてく
noteを書き始めてから気づいたことがある。 それは、書くことって楽しい、面白い!ということ。 小学校の頃から感想文や作文が苦手だった私は、自分が自覚している以上に自分の文才のなさにコンプレックスを持っているらしい。 ということにnoteを始めてから気がついた。 日本語教師をやっていたこともあるし、国語の成績はほかの教科に比べれば良かったから文章を書けなかったわけじゃないとは思う。 実際、今までも文章は書いてきた。 特にブログやメルマガはたくさん書いている。それも楽しいし、