地元愛を語ろう~中央区明石町~
私、子どもの頃は
この碑を滑り台にして遊んでいました。
のばらさんと
ふるやのもりさんの
こちらの記事を真似してみました😆
私が生まれ育ったのは
東京は中央区明石町です。
散々、過去の記事で
空気が悪くて喘息になった、だの
治安が悪い、だの
文句を書き連ねたのですが
実際は都会にしては
緑の多い、
美しい街です。
明石町は、すぐ近くの築地や
銀座と比べると知名度はありませんが、
こんな素敵な絵も残されています。
(鏑木清方作「築地明石町」)
絵はこちらより拝借しました。
築地の喧騒、
銀座の煌びやかさと比べて、
明石町は落ち着いた雅な印象です。
本当にね、
こんな絵の美人が
歩いていても自然に感じる町です。
町のほとんどを占めるのが
聖路加国際病院。
こちらにチャペルがありまして
朝に夕に、チャペルから町中に
讃美歌の鐘の音が鳴り響きます。
このチャペルには
パイプオルガンがありまして
私もよく聴きに行ったものです。
戦中は聖路加のおかげで
明石町は空襲の被害を
受けずに済んだそうです。
アメリカ人が作った国際病院ですからね。
幼少の頃、祖父母に
戦争について聞く宿題が
あったのですが、
祖母に聞いたらのほほんと
「この辺は空襲にあわなかったのよ。
だから美味しい魚を食べていたわ」
と、返されました。
父は疎開したようですし、
どこまで本当だか分かりませんが。
このあたりは明治時代に
外国人居留地があり
宣教師や医師、教師などの知識人が多く
住んでいたため、
今でもその名残が多くあります。
歩いているとシスターに
多く出会いますし、
クリスマスイブには
キリスト教信者が
キャンドルを灯して
讃美歌を歌いながら
町中を歩いて回っていました。
暗闇に照らされた
キャンドルの明かりと
讃美歌を歌う優しい声。
その雰囲気が神聖で
子どもの頃から
クリスマスイブは
背筋がしゃんとする気持ちになりました。
杉田玄白と前野良沢が
「解体新書」を訳したのも
この地です。
浅野内匠頭邸跡も
明石町にあります。
芥川龍之介誕生の地も
明石町です。
慶応義塾大学も
青山学院も、
立教、女子学院、明治学院も
明石町が発祥です。
家の裏には
日本で初めてお饅頭を作った
和菓子屋の老舗
「塩瀬総本家」がありまして、
現在は匂いも外に漏れないような
建物になっていますが、
私が小さいころは
甘いあんこの香りが
何時でしたか、
毎日決まった時間にしたものです。
それで、塩瀬の方が
毎年子どもの日には
柏餅を下さるんですね。
つぶあん、こしあん、みそあんの3種類を
5個ずつ15個。
私はしっとりしたこしあんが
一番好きでした。
通った小学校は
明石小学校。
復興小学校として
ご存知の方もいるかもしれません。
丸みのある美しい校舎、
ところどころにある
アールヌーボーのような装飾と、
ステンドグラスの明かり。
私が好きだったのは
重厚な石造りの階段でした。
緩やかにカーブを描く
その階段は
踊り場が広く歩きやすく
手すりが太くて美しい。
大人になってから小学校の夢を見ると、
決まって階段が出てきました。
残念ながらこの校舎は
区民の必死の運動もむなしく
取り壊されてしまいましたが、
この校舎に通った誇りは
私の中にずっとあると思っています。
↑こちらは現在の明石小学校。
6年ほど前に、私が撮りました。
築地駅からすぐ。
銀座一丁目駅から徒歩15分程度。
築地や銀座に行く方は
多くいらっしゃるのですが、
明石町にはあまり来られないようですね。
聖路加のチャペルや川沿いは
夜景も美しいので
築地や銀座デートの帰りにでも
寄ってみてはいかがでしょうか。
コロナが終わったら、ね。
P.S.トップ画像は明石町にあった
私の生家です。
取り壊してしまったので、
現在は存在しません。
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