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創作を書くと落ち込む。



創作を描くと落ち込む。

書いている時は楽しいはずなのに、
いざ人目に晒してしまうと
一瞬にして輝いていた光が
消えてしまう。


自分の中では確かに
煌めいていたものが、
他の方の創作を読もうものなら
自分の未熟さを
世間に知らしめてしまったことに
急速に我に返って、
羞恥心と罪悪感でいっぱいになって
落ち込む。


だから昨年度
創作大賞に応募した後
しばらく創作を書けなかった。

自分は何も変わっていないのに、
書いていなければ
こんなに落ち込む必要もなかったのに、
何もかもが足りなくて
それが露呈してしまって
打ちのめされて
貝に閉じこもる時間が必要だった。


エッセイは違う。

美しい表現で惹きつけなくても
面白いネタさえあれば
または共感して頂けることさえあれば
ある程度は読んで頂ける。

エッセイなりの難しさも
あるんだろうけど、
私にとって創作は難しい。

中途半端に創作に
手をつけるからいけないんだ。


秋ピリカグランプリの
応募期間中なので
応募作品を幾つか読ませて頂いて、


それでまた黒い穴から
這い上がれなくなった。


皆さん上手すぎる。
表現も秀逸すぎる。


私には心を掴んで離さないような
一文は書けない。


そうやって落ち込んで
何故かまた優成を書いている。

※ここは分かる方のみ分かって頂ければ😆

やめればいいのに
何やってるんでしょう。


ん、待てよ。

小説も、絵画と同じで
ピカソみたいなへんてこりん(失礼!)なものが
あっても良いんじゃないかしら。

叙情的な文が書けなくても
起伏がなくても
そういう派、だと思えば。


そうだ、私はそういう派だ。
なんだか分からないけど
なんじゃそりゃ派だ。

世間一般に理解されなくても
時代より先に行ってしまっただけだ、と思って
何でも自称して上にアゲればいいんだ。

そうやってまた何故か
優成を書いている。


品行方正で
良いことしかしていないのに
可哀想な優成を。

彼は超絶イケメン。
私は自称USCB。
(ウルトラスーパー超絶美女)

似ているじゃないか。
単なる他称と自称の違いだけだ。


これは世に出すことは
ないのかもしれない。

だけど、優成を書いている。

なんじゃそりゃ派の新作として。

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