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服装のトランスモダン

トランスモダニズムには、伝統と現代性の両方の場所があり、伝統を破壊したり置き換えたりするのではなく、伝統を再活性化して近代化する運動として求められています。モダニズムやポストモダニズムとは異なり、トランスモダニズムでは古代と伝統的なライフスタイルの尊重と敬意が重要です。
(ウィキペディアより抜粋)


ポストモダン、ということばも
もう古いらしくて
「トランスモダン」なんて
言うそうです。


マーケティングにもモダンを否定した
ポストモダンという考え方はあります。
モダンの時代にもてはやされた「合理主義と普遍主義」
これだけじゃダメだって、どの分野でも、
誰もが無意識に気づいている
んじゃないかな。


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最近、着物の記事を書くと
よく見て頂けています。

ついちょっと前までは
全く人気がなかったのですが😅


当初は
コロナ禍で着付けブームが
来ているからかな?と
思っていたのですが、
今日はこんなことを考えました。


着物って、着だしてからは
日本人が着ない歴史の方が
浅い
でしょう?

ここ数十年は
着る人の方が珍しくなったけど、
それだってここ数十年でしょう?

私が子どもの頃は
親たちは入学式、卒業式と
普通に着ていましたし。

だから、きっかけはコロナ禍で
社会が変わったことかもしれませんが、
原点回帰の流れが来ているんじゃないのかな。


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建築が割と好きです。
あまり詳しくはないのですが、
旧帝国ホテルを設計した
フランク・ロイド・ライト

旧岩崎庭園のジョサイア・コンドル


国立西洋美術館のル・コルビジェあたりの建築は
実際に巡ってみて、
以前、割と勉強しました。



日本人では
新国立競技場を設計された
隈研吾さんは大巨匠ですね。


私は庭と一体化した
屋根の大きい
根津美術館が好きです。


その隈さんが、何かの番組で
仰っていました。

建築界では一度
余分なものを全て取り除いた
モダン建築
が流行った。

四角い、屋根もない、
何も飾りもない、
シンプルなものが町に溢れかえった。

飾り気のない、
みんな同じに見える
超高層ビルとかね。

機能性(合理主義)や画一性(普遍主義)
だけを求めた
このような建築物が増えると
人々の気分は暗くなった。

それで、原点回帰をした。

環境にしっくり馴染むその土地の自然素材を生かした建築。
屋根は大事。装飾も必要。
その中にいると落ち着いて気分が優しくなる。


ただ機能性や画一性だけを求めない。
こういう意識って建築ばかりでなく、
服装にも向いて来ているんじゃないかな。


学生たちの民族衣装を
見ているといつも思います。

例えば、ネパール人女性は
サリーを着ると本当に
美しいです。

あ~、素敵!!
憧れる💕

それで、日本人が真似して着ると、

......あれっ???う~~~~ん……。


ミャンマーのロンジー。
ベトナムのアオザイ。
中国のチャイナ服。
韓国のチマチョゴリ。

こちらはまだ
顔や体系が似ているので
日本人でも、……うん……、まあ、
良いのでしょうが、

やっぱり人間って
否が応でも
母国の衣装が最も
似合うように出来ているんです。

世界の人間は
少なくとも似合う、快適な服装については
みんな同じ、じゃない。

それはね、
とても長い時間をかけて
先人たちが
その風土に、人に似合うように、
美しく見えるように、
快適に着られるように、
改良してくれたからです。


やっぱり日本人は着物です。
ドレスより着物が
似合うように出来ているの。

なんちゃって最近は
着物がびっくりするほど似合わない
手足が長くて小顔で
目鼻立ちのはっきりした
日本人美女が存在するのも
事実
なんですが。

だけど、現在は
「全員着物を着ろ!」という
時代でもない。

外国人とダブルの人も
今や全く珍しくないし、
外国出身の日本籍の方だって
普通です。


だから、好きな服を自分で選ぶ
その中に、もっと身近に
「着物(民族衣装)」という選択肢が入る。

それを、無意識に
皆さんが感じ始めて
そちらの方向に時代が
流れているんじゃないのかな。

そうだったらいいな、なんて
思います。

単なる西洋のコピーの時代は
もうとっくに終わりよね。
服装にしても、
自己啓発にしても。

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