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大学から6年間してきたSNSを全部辞めて2ヶ月経ってもうこれからもしないかなと思ったこと

私は現在25歳です。大学に入って、Twitterとかはしてなかったけど、Instagramに関してはずっとしてました。特に、大学入りたての頃と個人事業主を始めてからの時期は本当にずっと使ってた気がします。

そんなSNSの2大巨頭(私はビーリアル?とかTikTokはそもそもやったことがなかったので、SNSといえばインスタとX)を、7月の18日に全消ししました。

今が9月14日なので、ほとんど2ヶ月経ちました。この2ヶ月はもちろん、アプリにすらログインしてないですし、そもそもアプリすらスマホに入ってない状態でした。

そんな2ヶ月間が経過し、私が感じたことは、デメリットは一切なかった、ということです。

つまり、私にとって、SNSを辞めることはメリットでしかなかったです。

私がなぜじゃあSNSを辞めようと思ったのか。理由は何個かあります。

まず、親友も含め、知人レベルの人の今何しているか情報が受動的に入ってくることへの違和感です。

普通に自分の生活をしていて、隣にいない、ましてや連絡すらとってない人が、今何しているかが分かってしまう状態って、多分20年前からしたら恐怖でしかない。そして、その状況が当たり前として成り立っている状態に、私はすごく違和感を覚えました。

〇〇さん〇〇らしいねっていう会話

現代なら、普通にある会話かな?とは思うんですが、よくよく考えれば、こわい

しかも、それが受動的に頭に入ってきて、どこかしらのキャパを埋める感じが、すごく気持ち悪かった。

そして、それがたとえ親友の情報であっても、一次情報は、ちゃんとその人の口から聞きたい。それは、別に直接じゃなくても、電話でも、LINEでもいい。

だけど、仲が良いからこそ、その人が何を見てなにをして、どう感じたかは直接聞きたい。そう思った。

直接聞いたわけじゃないことを、共有されてる大前提で進む会話も、私は好きじゃなかった

だから、SNSを辞めた。

次に、それと似てるが、自分が何しているかを共有したいと思わなくなった。

これは、辞めたいと思ったきっかけというよりは、辞めたことで起きた現象というべきか。

とてつもなく楽しい経験をしても、とてつもなく嬉しい経験をしても、それを不特定多数に共有したいという気持ちが皆無になったのだ

わかりやすくそれを承認欲求という言葉にするならば、それが本当になくなった

遊んだ時、新しい経験をした時、それは今の自分が全力で感じて、あとはそれを日記にするだけだった。そして親しい人には思いを共有したり。


そうしていると、2ヶ月前の私はなんでも共有していたし、なんかあるたび、「あ、これストーリーあげよ」とか思ってしまっていたなぁ、と。

今は本当に目の前のひと、コトに、全力で向き合えてる気がする。それがすごく嬉しい。

この2つ点が1番大きいかなぁ

2ヶ月辞めてみて、快適すぎて、というかもう誰かの情報が当たり前に入ってくる世界に戻りたくない、というかもう戻れない

だから、きっと私はもうSNSをすることはないんだろう。

SNSがないのが普通すぎて、
よく電話をするようになったし、話すようになった。読書する時間も増えたし、ぼーとする時間も増えた。

私の周りは結構している人が多いからいまだにあまり理解されないけど、
私はその人のことはその人から知りたい
自分のことも、自分でちゃんと話したい


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