えたいの知れない不吉な塊が私の心を終始圧えつけていた。
1ヶ月と少し前、大学受験が終わった。
新型コロナウィルスにも感染せず、風邪もひかず、怪我もせず、全ての試験を受けられた。
思い返してみればわたしは穏やかに勉強をしていた気がする。
直前期を除いて。
※今はいつものポジティブが戻ってますが、人生最大のネガティブ期の受験期いちばんしんどかった時の話です。
読んで貰えるのは嬉しいけど、読んであなたまで辛い思いをする必要はないので今、心が辛い方や影響を受けやすい方はブラウザバックなりなんなりかんなりして自衛してください。
基本的には自分のことは好きだし、ネガティブになることは少ない方だ。
だけど1年に1回くらい特大のネガティブ期がやってくる。ポジティブなわたしがログアウトする。これなんだろうね。ディストピアの七夕?20年、生き長らえているけど未だに解決策が見当たらない。
20年そこらじゃ解決出来ないのかもしれない。
話が若干逸れてしまったが、特大のネガティブ期が入試直前期に重なったというよりも、入試が特大のネガティブ期をもたらしたのかもしれない。
12月からの毎日はずっと辛かった。
それまでは読めていた英語が読めない。
得意科目の現代文が解けなくなる。
世界史の知識不足を痛感する。
それに対して問題を解決するには足りない時間。
残された時間はもうあまりないのに毎日見つかる課題点。
この状況を楽観視できるほどわたしは楽天家では無かった。焦りばかりが募ってゆく。
受験生に戻ってからいちばん辛い日々。
毎晩泣きながら単語帳や一問一答をやっていた。
時間がないのに、朝二度寝してしてしまう自分が嫌になった。
夜寝られないから朝起きられないを繰り返す自分も嫌になった。
未だにこんなに課題を残したままの自分も嫌になった。
「まずはわたしがわたし自身のことを好きにならないで誰が好きになってくれるの?」 という考えを持っているので、日に日に自分のことが嫌になっていく自分が嫌だった。
(言うまでもないと思うが、この考えを他者に押し付けようとは思ってないし、自分に自信がないこと、自分のことが好きになれないことに否定的だという訳ではない。)
わたし、みんなが思ってるほど頑張れてない。
こう気がついてしまうことに時間はかからなかった。
頑張れていないことに気づいてしまったわたしは、この時期になるとYouTubeに現れ始める「いつも頑張っているあなたへ」 というタイトルなどの、受験応援メッセージ系動画を観て励ましてもらうに値しないと考えるようになった。だって、わたしは頑張っていないのだから。
息が上手く吸えなくなった。意識しないとしっかり吸えず、呼吸が浅くなった。
たまに耳鳴りがするようになった。
答えが光って見える目がわたしだけに搭載されたら良いのに。少し違うけど竹取の翁みたいな感じで。
英語が瞬時に日本語になった『劇場版名探偵コナン ベイカー街の亡霊』の元太みたいな目になりたい。
こんなしょうもないことばかり考えていた。
わたしがいなければ、なんて何度考えただろう。こんなにも自分の存在そのものが嫌になったのは久しぶりだった。
そもそもわたしがいなければ余計な出費もなかったはずだ。
死にたいのではなく、消えたかった。
わたしのことを愛してくれている人たちを悲しませてしまうから。
それならいっそのこと、記憶から消えてしまいたかった。
こんなこと言うと不謹慎かもしれないが、わたしの残りの命を今日生きたかった人たちに分けたいとすら願った。
"無かったこと"になりたかった。
4月からの自分が思い描けなかった。3月ですら無理。
自分の意思で大学を辞め、自分の意思で再受験を決めたということ。
この事実は家族や友人に弱音を吐くことを、わたしがわたしに禁じる理由になってしまった。
「自分で選んだことじゃん。」
「じゃあそんな選択しなきゃ良かったじゃん。」
この一言で終わりになってしまうからだ。
軽蔑されること。失望されること。期待に応えられないこと。
そのどれもが怖かったのだと思う。
良いとは言い難い精神状態で入試が始まった。
世界史は次に活きるかもしれないので自己採点をすることにした。少なくともわたしにはこれが良くなかった。
どうしてここで間違えたのか。
もっとちゃんと文を読めば出来たはずなのに。
見直ししたはずなのに。
答えを変えなきゃ良かった。
答えを変えれば良かった。
記念すべき初戦の自己採点後に残ったものは自信ではなく自責だった。
まだ試験は7回残っていたのに心は既にずたぼろ。
あと7回もこんなことするのか。すぐに死ねない拷問にかけられている気分だった。
ギロチンを考案したギヨタンはなんて優しいのだろう。刑死者の苦痛を軽減するために、一思いに首をちょん切ってくれるなんていいな。(今振り返ると本当に酷い考えだ)
毎晩早く終われと泣きながら眠りについた。
大学に受からなくても、大学生にならなくても死ぬわけじゃない。中学校や高校を卒業してすぐに働いている人だっているし、社会に出ている人たちを心からすごいと思う。
だけど、わたしは短大を辞めたという選択を家族や友人が応援してくれているからこそ、大学生になってみんなで喜びたかった。
綺麗事を並べているが、ただただプライドが高いだけなのだろう。
自分の嫌なところばかりが目についていた。
結局、全ての試験を終えるまで精神状態が良くなることはなかった。
最後の試験が終わった日の帰り、1年ぶりに参考書を開くことなく電車に乗った。
窓から見えた夕日は本当に綺麗だった。それをみて終わったことを実感した。
受験が終わるまでは参考書にかじりついてばかりいた。窓の外の景色を楽しめたのは久しぶり。なんだか変な感じだった。
車や電車の移動時間、家から最寄り駅までの道、ドライヤー中、食事中(お行儀よろしくないけど)、寝る前。
隙間時間をフル活用して勉強してきた日々が終わった。
二度寝して自責の念に駆られる朝も、泣きながら世界史の一問一答や英単語帳をする夜も、もう来ない。やりたかった勉強、好きな勉強ができる。お酒が飲める。
こんなにも嬉しいことだと思っていなかった。
第一志望の早稲田大学は補欠不合格だったので春から滑り止めの大学に通うことになった。
補欠不合格は悔しいものだ。
だけど、今までの選択や勉強そのものに後悔はしていない。
短大に入学して1年。経験したことのない分野を勉強したこと、悩み抜いて辞めたこと、そして再受験したこと。何もかもが素晴らしい選択で、そこでの日々や出会った人々はわたしの人生の財産だ。
1年の勉強で早稲田大学の補欠に引っかかるところまで行けた自分を誇りに思う。
今まで肩書きのなかったわたしも今日から大学1年生だ。たくさん勉強して、たくさん遊んで、たくさん経験する4年間にしたい。
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