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社会人8年目で、通訳学校に通い始めたわけ

ちょっと長くなりそうですが、自分の状況や気持ちの変遷をまとめておきたいので、書いてみます。

通訳学校への投資は、自分の中ではとても大きな決断でした。一歩踏み出してみて、心からよかったなぁと思っています。

どなたかの参考になれば、とっても嬉しいです。


大学時代まで

中高時代、漠然と「国際協力がしたいなぁ」と思いつつも、英語を特化して頑張っていたわけではありませんでした。

大学入学時のTOEICは650点くらいで、英語のクラスは真ん中。図書館にこもって勉強しIELTS6.0を取得したのち、昔からの夢だった交換留学へ。

留学後はTOEIC900点をとりますが、「英語をこれ以上伸ばすのは大変。プラスもう一言語できたほうが仕事の幅が広がるかも」と思い、韓国語を勉強しTOPIK5級を取得。


英語は好きだけれど、私よりできる人なんてごまんといるし、何より自分に自信がない

「英語はもういいや。+αのスキルを身に着けよう」「英語は手段として仕事で使えればいいや」と、楽な方へと、逃げる言い訳ばかりつくっていた気がします。

社会人1~5年目

新卒で入社した医薬品メーカーでは、たまたま「英語を使う」部署に配属されました(たまに韓国語も使ってました)。

「あ、英語を使うって、globalな仕事って楽しいな」という気持ちがありました。ドメスティックな組織の中でも、ふわっと、楽にいられたんですよね(仕事はプレッシャーだらけで、ストレスがすごかったですが…)。

この時期は、プロの通訳さんのお仕事を隣で見て「素敵だな」と感じたり、自分自身も、簡単な社内の通翻訳、英語対応などを頑張っていました。

スカイツリーがみえる場所で働いていました。

海外系の仕事は楽しかった一方、「英語はもういいや......(疲れた)」という気持ちも、どんどん積もっていきました。

「働く人のサポートがしたい」という思いも同時に強くあり、転職して人事領域のお仕事に従事し始めました。

社会人6~8年目

「英語」や「海外」にまったく触れることのない日々が1年ほど経過したのち、「英語、疲れた......」が、「英語に携わりたい」という気持ちまで回復し、近所の高校生に英語を教え始めました。

その後、副業でも英語教育のお仕事を始め、それがとても楽しくて。フリーランスになってからは、様々な「英語教育」領域で働き始めました。

↓仕事や能力研鑽については、「『英語を教える』を仕事にする」といったテーマで、別途詳しく書いています


また、「英語を自分が満足いくくらい、納得するくらい突き詰めなければ、10年後、絶対後悔している」ということにも気づきました。「それなりでいいや」と、何度もふらっと楽なほうに逃げて、言い訳をするのはもう辞めようかな、と。

何年間か社会人をしてみると、自分の向き、不向きがよくわかってくるものです。自分はスペシャリスト気質で、英語という専門性を時間をかけてじっくり身に着けたいことを再認識しました。


・・・そして、TOEIC930点と英検1級を取得し、興味のあった、通訳学校に通い始めました。

おわりに

長い目でみると、立ち止まるのは必要なこと。前に前に、と進んで頑張ったのであれば、ちょっと休んで回復させて、その後、また再開する。

まわりと比較するのではなく、自分自身の目標を大切にする。スタート地点が違うのは仕方のないことなのだから、できることを、自分が納得できるまでやればいい。


資本主義社会の中では、どうしても相対評価になるし、プレッシャーがつきまといます。そんな社会とうまくつきあいつつ、自分のペースで進んでいけたらいいですよね。



●通訳についてのnoteをマガジンにまとめています


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