0726.わからないことがわかるよろこびへ
これまで自分のことを「学ぶのが好き」なんだと思ってたし、そう定義してた。
けど少し言葉を変えてみると「わからないことが、わかるときに感じるよろこび」に、いつでも向かっているのだった。それがわかってよかった。
なぜかというと、「学ぶのが好き」という表現だと、その中にある”どこか受動的な、常に受け身であることの脆弱性”みたいなのも感じてて。「教えてくれ~」っていつもクレクレゆってるようなさ(笑)。
でも、わからないことがわかるってほんとうによろこびだから、そこに向かっていく姿勢には積極性というか、自然なものを感じる。太陽に向かって咲くひまわりみたいな自然な在り方としての動き。
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井の頭線「三鷹台」駅から徒歩数分の住宅街の中にある、シェア型書店『イノイチブックス』へ。今日は、棚主となって初となる、書籍の搬入の日なのでした。
一冊一冊に、棚番号(わたしのお店はNO.9)、タイトル、値段を書いたスリップをはさみ込んで、所定の棚に並べていく。
自分の部屋にあったこれらの本たちは、わたしの部屋の書棚にあったときはまったく違和感なく特に際立った種類のものでもなく「よくある、ありがちなセレクトだよね」と思っていたけど、こうして生まれも育ちも志向も背景もちがう老若男女入り乱れた棚主(いわば、バイヤーですよね)さんたちのセレクトに囲まれていると、
「うわあ、実にわたしっぽいよ……わたしっぽすぎて恥ずかしい!」
と手で顔を覆ってしまいたくなるような感じがした。
いえ、もちろんどの本もおもしろいし著者さんたちのすばらしさは言わずもがななんですが、なんかただわたしの内面がだだ漏れている感じがして恥ずかしいだけです。好きな映画リストを晒すのと同じ感じで恥ずかしいですね。
思ったより棚のスペースが広くって、「重いし、そんなに入らないだろうな」ってあまり持参してこなかったのを後悔した。まだまだ並べられそう。まだまだ並べたい本はいっぱいある。
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さっきFacebookをのぞきにいったら(1日1回、noteをシェアするタイミングで見にいく)、祝里(のり)ちゃんがコメントを書いてくれていた。これからのLIFE的な内容で、”脚本かいて作曲しながら長生きして筋トレする”って。
なにそれ最高だな~。のりちゃんマジでそうなるんだろうな〜!
わたしはなにして生きようかな。それって「仕事どうしようかな」「職業どれにしようかな」という話じゃないんだよね。
仕事や職業はぶっちゃけなんでもいい。結婚だってぶっちゃけだれとしたっていいし、しなくたっていい。そこは本筋ではなくって、枝葉のとこなんで。
そうではなくて、あらゆる仮面を捨てて、あらゆるアイデンティティーを捨てて、あらゆるイニシアティブを捨てて、ただ自然にわきおこってくるものに自分をゆだねていくということを選んだとき。
わたしはなにして生きるんだろうな?という問い。
今年は完全に、ソレ待ち。
彼女とわたしは、枝葉の部分は完全にちがうのだけど、「言葉・音・身体」とそれらを統べる(という言葉が正しいのかむつかしいけど)”霊” という領域、だけ、しか、見てないし、ていうか見えないし?
という点において、いつも「魂の家族なんだなあ!」と思っている。
出会えてよかったし、出会えていなかったらとても、とてもさみしかっただろう。
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