671.与えて、与えて、でも私自身の番はいったいいつやってくるの?
穴八幡宮へ。飯田さんとゆきさんと、一陽来復のお札をいただきに。
まだ去年はあったような気がする参道の露店もすっかり撤廃していて、ひろくてきれいな境内にはお札を求めてやってくるひとたちしかいなかった。
1月末になるとこのお札をもらいに穴八幡宮へ行って、そして3人でランチを食べたり打ち合わせをしたりする、という毎年恒例の行事も今年でなんと5年目を迎えていた。5年も飯田さんとゆきさんと、こうして毎年仲良くお参りにやってこられること、2月3日の深夜0時ぴったりに、LINE実況しながらみんなでペタリとお札を貼る、そのこと自体が「招福」という名に値するとってもすてきなことだと思う(一陽来復のお守りは、貼る日にちや時間、方角が厳密に決まっているのです….)。
5年前らへんは、わたしたちはイベント・オーガナイザーとしてお仕事をしていた。これは!と思うひとをブッキングし、イベント企画し、PRして集客して、いっぱいイベントをやっていっぱい感謝されたけれど、当時はまったく”オンライン”という概念はなかった頃なので、会場の手配や機材の運搬、当日の準備や運営や設営などなど、かなり大変だった記憶がある。
それなのに、まだオンデマンド配信というところにも着手していない頃だったので、完全にいっぱつ勝負の世界で深堀や横展開もしにくくて、とにかく数をこなさなくてはいけなくっていつもヘトヘトでカツカツだった。
自分たちがやっていることに迷いはなかったし、意義も感じていたけれど、安定的な収益を上げる仕組みにするにはどうしたらいいんだろうって、お互いべつべつの会社だったけど同業者だったので、よく話し合ったものだった。
わたしはわりと「このままだとキツイから、なんか打破していかないとな」といろんなトライ&エラーをしてきたほうだけれど、飯田さんとゆきさんはわたしから見るとどこか「たしかにキツイはキツイ。けど、きっと道はあるさ〜」みたいな、他力とも投げやりともちがう自然さで、少しずつ流れが調っていくような道のりを歩んでいた気がする。
わたしは現実的で、常になにか保険をかけておくようなところがある。けれど、保険なんてどこふく風とばかりに無邪気に惜しみなく自分たちにできる最高を他者に与えていきながらも、どんどん活躍の場を広げていくふたりを見ていると、「そっか、あんなふうに大きく大きく両手を広げて、いっぱい与えて与えて与えまくって、そして遠慮なく楽に軽やかに受け取っても、だいじょうぶなんだ。わたしたちは、きっと」と、いつもなんだかむくむくと勇気が湧いてくるのだった。
与えるのもへたくそだし、受け取るのもまたへたくそなわたしは、見よう見まねでいつもふたりを心の中で「おとうさんとおかあさんみたい」と思いながらその背中にくっついていて、”この世界がほんとうはどうなっているのか”みたいなことを、彼らの生きる姿からもう一度教わっている。
そうだな、それはなんだか、もう一度育て直してもらっているような、そういう体験をしている感覚にとても近いのではないかと思う。
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とりあえず、家族には「自分が使ったお皿は自分で洗えよ」というだけで、ぜんぜんちがってくると思うんだけど。夫も在宅だったら「子どもたちのお昼ごはんよろしくね!」というだけで、内側の有毒な激しい怒りって解消されないか?
与えすぎなんですよね、きっと。
怒りを感じたら、それは与えすぎの合図なので、コミュニケーション不全に向き合うタイミングかもね。
お金の不満も家事バランスの不満も、そのことを対等に話し合える関係性を育んできたのか?という、”これまで目をそらしてきた積み重ね”の部分が露呈してしまうので、コミュニケーションの話だったりする。
だから突然、魔法のように解決したりしない。
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