この仕事を死ぬまでやりたい
午前にライフコーチングのセッションをして、その後、ライティング・ライフ・プロジェクト16期生たちへのフィードバックをせっせと書く。うたちゃん(高2娘。ダンス部部長)はちゃんと早起きして羽田に向かっていた。
彼女は今日から修学旅行に旅立ったのでした。
夜はわたしがベリーダンスのレッスン日で、かんくん(中2野球少年)も塾なので、早めに夕食を準備して早めに食べる。「お姉ちゃんがいないっていいよね」とかんくん。
「なんで?」
「だってあいつ家中の食べ物もお菓子も全部食うじゃん。ちょっと置いておくだけで全部なくなる」
「たしかに~」
食べ盛りのJKはいつでも冷蔵庫やおやつ棚をぱかぱか開けては、ありったけの食べ物を食べてしまうのである(バキュームのUTAという二つ名で通っている)。
夜はベリーダンス。
わたしは1冊のノートにすべての記録をつけては3年間くらい使用しているのだけど、ジャーナルを見るとベリーダンス歴は今年の夏で4年になる。週イチだし、公民館のほんわかしたサークル活動ではあるけれども、すべての動きがラジオ体操か盆踊りだった頃に比べたら、多少はダンスらしくなっているような気がする。
なにより楽しい。ずっと楽しい。思ったよりぜんぜん痩せなかったけど!
ベリーへ行く途中の道すがら、なにか考えごとをしていて、突如としてひらめきのように舞い降りてきた思考が「ビジネスや起業をはじめたばかりの人を相手に、”高額のバックエンド商品をつくれ”っていうコンサルはバカだ」というものだった。
なんだか物議をかもしそうでこれ以上は書けないけれども、理由は30個くらい挙げられるし、とにかくそんなことを言うやつらは真のバカだとしみじみと考えていた。
ほんとうに本気で目の前のひとと、そのひとが生きていきたい仕事と人生のことなんてなにも考えていないから、そんなことが言える。
高額のサービスを作るなってことじゃない。要らないというつもりもない。ゆくゆくは自営であれば収益の仕組みづくりには本気で取り組んだほうがいい。
けれども、ものごとには順序があり、自然には摂理がある。
わたしたちの存在も人生の流れも、本来はとても自然なものだ。不自然なことはつづかないし、身にならないし、肚落ちしないから定着もしない。
サービスやお仕事は自分の子どもみたいなものだから、もしくは野菜や植物みたいなものだから、いつか花を咲かせてくれたり芳醇な実になったりするかもしれないけれども、それまではひとつひとつのプロセスに応じて、まごころを込めて、クリアな視点で観察しながら検証しながら、少しずつていねいに育てていくしかない。
なにより自分が育っていかないといけないし、誰かに勝つとか誰かよりいいねやフォロワーが多いかどうかとかよりも、縁があって共鳴しあえるクライアントさんたちが、自分のなにかを求めてくれているということがいかにすごいことなのか、いつでもわかっていなきゃいけないんだろうな、と思う。
2月は久しぶりに「ライティング・ライフ・プロジェクト16期」をスタートさせることができてすごくすごく幸せだ。やっぱりこれがわたしの原点にして到達点という感じがする。
だって自己認識しかできないんだもんな、俺。
2024年の秋に新リリースしたサービス「BE☆ME」もすごく手応えがあって、まだその余韻が残っているのだけれども、ある程度しっかりしたフレームと順番が決まっているプロセスがある「ライティング・ライフ・プロジェクト」から、なにも決まりごとのない、自由に言葉をやりとりできる形式の「BE☆ME」をやってみたことで改めて「ライティング・ライフ・プロジェクト」のおもしろさ、良さ、フィードバックでしかできないことなんかが見えてきた気がする(そのあたりは、WLPファシリテーターさん向けのニュースレターに書いてみたいと思っている)。
WLPがあると、突然、毎日が輝きだすので、やっぱりこのサービスは死ぬまでやろうと思いました。
いつかWLP100期生の人たちとも会いたいし、今いる45人のファシリテーターさんたちが、100人になるところも見たいし、2030年になったら「WLP創設10周年!」とかもやりたいぜ。夢がふくらむう。あんにょん!
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