103.Done is better than perfect.
*ライティング・ライフ・プロジェクト第1期、継続チームメンバーの方へ。60日間の内なる旅路を終えられましたね。おめでとうございます!最後の最後のメール、今夜送ります。今日までありがとうございました!*
Done is better than perfect.
という言葉は、ご多聞にもれず敬愛するBTSのリーダー、ナムジュンくんが、ツアーのドキュメンタリーの中で言っていた。ジョングクが怪我をしてしまって、彼だけがパフォーマンスから離れて、椅子に座っている、という異例のステージのときだ。
ナムくんは動揺していたと思う。彼は思慮深くて悩み深いひとだし、常にプロとしてベストな状態で人前に立つということを、自分の背中を見せることでメンバーに鼓舞しているような、ある意味では完璧主義者なところがあるような気がしたから。
それでも決行する、となったのは、彼らの判断だったのか事務所の判断だったのか、莫大な金銭がからむ大人の事情だったのかはわからない。けれど、そんな時にナムくんが使った言葉が”Done is better than perfect.”だった。
完璧な姿をお見せすることはできないので、ガッカリするARMYもいるかもしれないこと。けれど、自分たちがワールドツアーに出て、その国で公演ができるのは、数年に1度くらいの頻度であること。その間、ずっと待っていてくれるARMYのみんなに、やっぱり会いたいという思い。たとえパーフェクトでなくても、僕らの姿をお見せできる方が、喜んでくれるのではないか、という考えを、話していた。
なぜだろう、心に残る思い出はいつも、うまくいかなかったことや、困ったときのこと、どうしようもない大失敗の恥ずかしさ、そんなのばっかりだったりする。
ジョングクが悔しそうに、一人だけ椅子に座りながらも一生懸命歌っていたあの公演を、そんなグクの周りを、決して引け目に感じさせないよう、ファンにも彼にもさみしい思いをさせないよう、精一杯の思いやりを持って熱のあるパフォーマンスをした6人のヒョン(お兄さん)たちの優しさを、「不完全な」公演を観ることになったARMYたちは、とても深く胸に刻んだのではないだろうか。
わたしたちは、完璧さをリスペクトするだろう。そして、不完全さを許す、のではなく、愛するのだ。だから、なにかを完璧にしようと思っているみなさん、いつか完璧になったらああしようこうしよう!と思っているみなさん、ご安心を。
不完全なままでいいのです。世界はきっと、君のその不完全さを愛してくれるから。
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本当の本当の出典は、マーク・ザッカーバーグが投資家向けに書いた手紙の一文として有名なものらしい。Facebook社の壁にも貼ってあるらしい。
We have the words “Done is better than perfect” painted on our walls to remind ourselves to always keep shipping.
当社は壁に「完璧を目指すよりまず終わらせろ」と書いて、常に出荷し続けることを意識しています。
keep shipping. にもそうとうしびれる!
常ニ出荷シツヅケヨ。
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日常でほとんど誰にも会わないし、正直にげんみつに「誰かに会いたい」と思うことがほぼないという自分を「人としてどうなんだろう?」と思わなくもない。
すきだと感じる、好ましいひと、友達、もいる。すきで、好ましく、友達だな、と心から思う。けれど「会いたい」はなかなかむつかしい。と、志村貴子さんの描く不思議な恋愛マンガを、ノンケバージョンからBLバージョンから百合バージョンまでいろいろと読みあさっていて、思う。マンガの中ではみんな、想うひとに「会いたい」と思っている。会いたいって思えるって、いいなあ。
わたしにとって「会いたい」は、ほぼ恋愛感情に近いので、そういう意味で今はシーン。としているのだろうな(しかし、シーン。としていなかったとして、ここに書くのか?笑)。
そういう自分をどうなんだろう?と思うというのは、冷たいんだろうな、とか、愛が足りないんだろうな、とか、血の色が緑なんでしょうよ。っていうジャッジメントに基づいているのだけど、ふと、どうもそうではないかも?という気持ちになった。
誰にも個人的に興味がないのは、誰といても意味がないってことではぜんぜんなくって、その逆なのかもしれない。誰にも会いたくないのは、誰と会っていてもつまらないということと、対極にあることなのかもしれない。
だって、目の前にふと現れてくるひとに、わたしは100%興味を持って接していると思う。じいっと見て、耳をすませて、心のうちのうちのうちまで、触ってたしかめてみたいと感じる。
会いたいとか会いたくないとかを超えて、ただ会うひととは会うことになっているわけで、だから誰かと会っているときは、ほんとうに100%、そのひとと会っているのだ。変な話だけど、そのとき、わたしは丸ごと、目の前のひとのものなのだ。
だから、誰とも会っていないときは、なんというか、100%ただただ、自分と一緒にいるだけなんだろうな、と思った。ひとりでいて、自由で、シーンとしていて、満たされていて、でもあるときふっと、映画みたいに場面転換があって、誰かと一緒にいるシチュエーションがやってくる。そうしたら、わたしはそのひとといるその世界だけにいて、他に世界はない。
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志村貴子さんが、ストレートの物語も、BLも百合も描けるのは、そのどれもモノローグの部分、感情描写の部分がさらっと軽いのに、生々しいっていうバランス感覚が秀逸なのかもしれない。同性同士は葛藤のドラマが強まるから、そこがエモーショナルでひとを引きつけるのだろうけど、深くしすぎないところ。
日常っぽいのに、絶妙にファンタジーなところ。ゆるっとしてる?ほっこり?というテイストかと思いきや、ギュッと時空がゆがむような不穏な空気感と、シュールでぞっとするようなリアリティーで、胸をえぐるようなところ。
渡辺ペコさんの描く世界も好きだけど、ちょっと手塚治虫よりすぎて、読んでいてつらいときがある。それって、ただの人間の現実じゃん、って思う。救いがないような突き詰め方だなって思うときが。
志村貴子さんは、手塚治虫ではなくて、藤子不二雄よりなんだと思う。そして、わたしが惹かれるのもそういうものなんだな、と、読んでいて思った。
*ライティング・ライフ・プロジェクト第3期、8月スタートします。詳細はすこしおまちください。先行案内はメルマガにて行います!*