やりすごしかたの極意(前編)
この間、noteで見かけた記事。
中国の若者が工場の単純作業や、あまり複雑に考える事を要しない仕事に敢えて就いて、自分の個人的に考えたいことにのみ思考を使う、という生き方が増えている、というものだった。
この記事をもう一度探そうとしたのだけれど、スキをするなり何なりせずに読み飛ばしてしまった為、探索不可能。ずいぶん、検索かけてみたのだけれど。引用記事だったから、ニュースソースは検索にかからないのか。
ブックマークとかしとけばよかったなー。後の祭り。まあ、覚えていたからよしとしよう。
それで、その記事を読んで、私は自分がずっとそういうやり方をしていた事に気づけたのである。
まず、学生時代。
小学校時代はまだのほほん、としていたから、毎日友だちと遊んでしゃべって、気楽に過ごしていた気がする。途中で転校したりもしたし、結構忙しかったのだ。
中学校あたりから、なんとなく自分の周りに違和感を感じはじめる。まず、どうやって友だちを作ればいいのかがわからない。
小学校6年で関東から関西に引っ越して転校したことで、仲良しの友だちと離れてしまい、関西の土着的なパワーには恐れを感じて、なじめなかった。
私も繊細な頃があったのよ(笑)
無理やりなんとか気のあいそうなクラスの子のグループに入れてもらって、しのいだけど、みんないい子たちで、楽しくもあったけど、どこかものたりなかった。
その頃から、私は授業中に空想にふけるようになり、考えた事やスイートなポエムを(笑)、教科書の余白に落書きするようになった。
なんだ、今ここでやってる事と一緒じゃん(笑)ちっとも変わってないんだな。(諦め。)
私の教科書はわけわからん落書きだらけで余白は真っ黒で、人に貸せなかった。
なぜかノートじゃなくて、教科書の方に書いてた。これは高校~大学時代にまで続く。
コレをしながら、勉強は適当に要領をかます事を覚えて、成績はかえって良くなった。
一つのやり方を取得したのだ。
やる事さえやってれば、親も学校もうるさく言ってこない。ほおっておいてくれる。
これは私にとって、好都合。
授業なんてほとんど聞かずに(面白い先生のだけ聞いて取捨選択)、ひたすら自分の妄想力を鍛える。
勉強は、家に帰ってから深夜ラジオ聴きつつ、やる。家でも好きな音楽やラジオ聞いたり、マンガや本を読むのがメイン。
ハイ、立派なオタクのできあがり☆
中学生の頃、まだ「オタク」という言葉はなかったけれど、日本全国に私みたいなのが沢山いて、やがて開花するわけである。
自分の世界を守るために、この世ルールをやり過ごすこと。それが、私の生きる道であった。
だから、就職先もそんな感じで適当に決めたし、本当は働きたくなんてなかったけど、親はうるさいし、まあ何事も経験、くらいで。
この世ルールをやり過ごすには、この「何事も経験」は、役に立つ。
どんな理不尽な事があろうが、めちゃくちゃな人がいようが、観察する事で、他人事にできる必殺技。
私が就職した年は、ちょうど男女雇用機会均等法、なんてワケわからん法律?ができた時だったけど、そんなもの鼻で笑うくらいの実際の社会だったのは、まあ当然でしょう。
粒の違う人間がうごめく会社という世界、学生時代からの観察モードでやり過ごすには、あまりにストレスフルな環境。
やっぱり生きていくのは大変だにゃあ~😸
実家で家族に合わせて生活するのも、めんどくさくなってきた。
私は妄想力を更に鍛えるために、貯金して一人暮らしをするべく、準備をはじめた。
(続く)