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外見と内面、人はそのどちらを愛するのか 『ビューティー・インサイド』
2015年/韓国
原題:The Beauty Inside
監督:ペク
「主人公キム・ウジンは、眠りから覚めるたびに外見が変わる」
この設定だけを見るとコメディ映画と勘違いしそうだが、全くもってそうではない。むしろシリアスな純愛映画だ。
この作品は「もし、眠りから目覚める度に外見が変わったら?」という仮定の元、「外見か内面か」というある意味「普遍の問い」に挑んでいる作品だと言える。
そしてこの実験的作品にすんなり感情移入できるのは、追及するテーマがはっきりしているからだと思う。
この作品が描くテーマは2つあると思っている。
ひとつは
「人の外見にかかわらず内面を愛し続けることができるか」
もうひとつは
「自分の外見が変わっても内面は変わらずにいられるか」
ではないだろうか。
ここでは、この2つテーマを軸に作品について思うことを書いてみたい。
1. 人の外見にかかわらず内面を愛しづつけることができるか
第一印象はとても大切だ。
他者と出会う時まず最初に知る情報は相手の外見。
そして、その相手に好感を持つか否かはこの時瞬間的に決定してしまう。
恋愛関係で言えば、まずは外見から始まり、相手の内面を深く知るにつれ関係が深まるというのが一般的なセオリーだろう。
なので外見は大切。疑いの余地もない。
でも、外見が好みでなくても惹かれてしまう場合がある。
話が合ったり、自分と似たところを発見したりなど共通点が多ければ多いほど、外見にかかわらず相手に興味を抱く。
そういう相手との関係は、たぶんなかなか切れることはない。
人は外見の魅力に抗えない一方で、内面の魅力を知ってしまうと離れがたくなるものだ。
物語では、主人公であるキム・ウジン(多数俳優)の外見が毎日変わる。彼と恋に落ちたイス(ハン・ヒョジュ)はその状況に混乱しながらも、彼を受け入れようと努めている。
はじめはキム・ウジンの「日替わり外見」を楽しんでいたイスだが、当然ながらその事実を周囲の人に話すことはできない。「毎回別の男とデートしている」と噂されても聞き流すしかないし、話したところで理解が得られるとも思えない。
そして何より不安なのは、キム・ウジンからはイスを見つけることができても、日々外見が変わるキム・ウジンをイスが見つけることはできないということ。
「僕が君を見つける」
キム・ウジンがそう言ったとしても、信じて待つイスは常に不安を抱えている。
どこへ行って何を食べたか お店のメニューまで全部覚えているのに
あの人の顔が思い出させない
イスが泣きながら姉にそう訴える場面がある。
キム・ウジンを愛していながらも、会う度に「この人が私のキム・ウジンなの?」という疑念を抱く。それでも昨日と違う顔のキム・ウジンを受け入れるイス。
そして彼の内面を感じ取ろうと彼女は日々努力をする。
しかし、そんな生活に限界が訪れる。
彼女が耐えられなかったのは、外見が変わることよりも外見が変わる速さだ。
1日という時間は新しい外見に慣れる時間としては短すぎた。
◇
イスの気持ちの混乱が原因で一度は別れてしまう二人だが、最終的に彼女はキム・ウジンを受け入れる。
だからと言って、「本当に大切なのは外見より内面」というような単純な話ではないと思っている。なぜなら外見もその人の一部だし、外見と内面は相互に影響し合っているものだから。
ただ、イスは決心したのだ。キム・ウジンを感じられるならば、外見はどうであれその人間のそばにいたいと。
一方で、内面が通じあうことでこそ「満たされるもの」があるのことも事実だ。
それは相手と共有する時間や感情によって育ち、共感し愛し合う関係性から生まれる。そしてその「満たされるもの」は「幸福感をもたらす何か」であることは間違いない。
この作品では、外面重視の昨今の風潮の中で、内面、すなわち目に見えないものが持つ価値を改めて描きたかったのではないかと思う。
2. 自分の外見が変わっても内面は変わらずにいられるか
外見は、人間のアイデンティのひとつ。
それが日々変化するような状況がもしあるとすれば、自己喪失につながりかねない。
もちろん日々外見が変わる経験をしている人間はいないので想像するしかないが、精神的に厳しい状況に追い込まれるはずだ。
もしかするとキム・ウジンのように、外見が良い時はナンパを楽しめるかもしれない。老人や子供の気分も1日味わうだけなら、気分転換に最適かもしれない。
女性になったり、外国人になったり、外見が違うことによって得られる経験は、ある意味貴重とも言えるだろう。
しかし、それは孤独な人生だ。
一人の人間として認知されることもなく、母親と親友以外には信頼関係を築ける人もいない。だって明日には別の外見になってしまうのだから。
たとえば整形手術を受けた場合、外見が変わるのは手術の後だけ。外見と内面が相互に影響し合っていることを考えれば、術後の外見に合わせて内面が変化していくことは十分に考えられる。
でも、キム・ウジンの場合は違う。
日々変わる外見に合わせて自分の内面を変化させることなどできはしない。
イスが感じたのと同じように、1日では短すぎるのだ。
ある意味、キム・ウジンの外見はファッションと同じなのかもしれない。日々服を変えてもそれによって劇的に内面が変わることはない。それと同じ。
そう考えると、彼にとって外見はただの入れ物にすぎないと言えるのではないか。その入れ物がどんな姿であれ、彼の内面はそれとは関係なく存在している。
たとえば、姿を人前に現さなくても彼が作った作品(キム・ウジンは椅子のデザイナー)には彼自身(彼の内面)が内在している。
そして、そこには圧倒的な存在感がある。
姿がなくても自分自身を表現できる能力。
キム・ウジンにはそれがある。
それは、人に認識されず孤独な人生を送るキム・ウジンが、実は他者にその存在を認められていることに他ならない。
彼のようなシチュエーションは現実にはあり得ないので一般化できることではないけど、言うなれば、外見など気にせずに自分の内面に焦点を当て続けることで出現する自身の存在感、それこそに価値があるのではないか。
それに、キム・ウジンのように日々劇的に外見が変わらなくとも、人は老いることで姿を変える。
そういう意味で全ての人間にとって外見はただの入れ物だ。
だからこそ入れ物の中にある内面こそが自分の核であり、大切に護り育てるべきものなのだと思う。
3. キム・ウジンの非現実的で優しい日常
非現実的な設定にもかかわらず、日々外見が変わる主人公にほぼ違和感を感じなかった。
それは、恋人のイス、親友のサンベク、母親といった、キム・ウジンの日常を知る人物たちの、彼への接し方や愛情の注ぎ方にブレがないから。
外見はどうであってもキム・ウジンはキム・ウジン。
少なくとも私はそう感じた。
そして、外見が変わることを除けば、キム・ウジンの日常は淡々と、そして優しくすぎていく。そんな世界が描かれている。
その静けさがこの作品の魅力のひとつだと思う。
ところで、キム・ウジンを演じた俳優は21人。(オーディションを含めると123人がキム・ウジンを演じた)
なんとも新しい試みだ。
ナレーションは「賢い医師生活」「応答せよ1994」のユ・ヨンソクが務め、彼は劇中における最後のキム・ウジンとして登場する。
その他にも、韓国コンテンツ初心者の私でも知っている有名な俳優が多く出演している。たとえば、「梨泰院クラス」のパク・ソジュン、「賢い医師生活」のキム・デミョン、「アルハンブラ宮殿の思い出」のパク・シネ、「トッケビ」のイ・ドンウク、日本からは上野樹里が出演するなど、多様な俳優がキム・ウジンを演じた。
キム・ウジンを演じた俳優陣からわかるように、キム・ウジンは男性はもちろんのこと、女性になったり、老人になったり、外国人になったり、そして子供になる日もある。
こんなにも非現実的な設定で、これだけ雰囲気のある純愛映画に仕上げる手腕は本当にすごい。
監督は2013年のカンヌ国際広告祭でグランプリ受賞の経歴を持つCMディレクター出身だそうだ。映像の美しさや斬新な切り口も、監督のそれまでの経歴があったからこそ出せた味なのかも。
設定が奇抜すぎるゆえに半信半疑で試した作品だったが、観了感を含めとても素晴らしく、鑑賞後思わず唸ってしまった。