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静かに耳を傾ける

共感力とよくいう

共感ってなんだろう

共に感じるというのは
同じ感覚になるのとは異なる

共に感じたいんだという
心の動きだろうか

分かりたいと思う強さ


相手が今 感じているだろう気持ちを想像し
自分が体験したことのある心の記憶の中で
最も近いと判断したものを
瞬時に引っ張り出す…


私は 映像などの中で人が泣いていると
まず泣いてしまう

でも
目の前にいる人の気持ちが
分からなくて 戸惑うことも
度々ある

分かろう、分かりたいという思いが
私たちの心を通わしてゆく



そんな気がいたします

―――

心理学では、
共感を2つに分類することもある。

ひとつは、『情動的共感』。

相手の情動や感情を、自分の情動や感情をして写し取ること。無意識に起こるといわれる。
相手が悲しんでいると、自分まで悲しくなる状態はこちら。


もうひとつは、『認知的共感』。

相手の情動や感情を写し取ることなく、相手が悲しんでいると理解すること。
相手は悲しいのだ、と推定するのはこちら。

この2つは、
同時に起こることも、片方だけのこともある。

生まれつき苦手な人もいる。

たとえば、発達障害の中には、共感能力の獲得がゆっくりだったり、苦手なことが、
特性のひとつとしてあげられているものもある。

この場合の共感は、ひとつめの『情動的共感』を指している場合が多い。
しかし、発達障害(主に自閉スペクトラム症:ASD)のある人は、同じような特性を持つ人に対しては、共感を示すことが分かってきている。
年齢を重ねるにつれ、『認知的共感』を身につけていく人も多いという。


何も不思議なことではなかった。
だれだって、自分と近い感覚を持つ人には共感しやすいし、
どう頑張っても理解し難い、という人がいるものだ。
当たり前のことなのに…。
自分の視野の狭さを自覚し、また、深くうなづいた。

共感力が高い方がいい、というのは、
運動神経はよい方がいい、というのに近い気がする。

共感性が足りない、などと指摘されてしまうと、
冷たい人、感情のない人だと言われたようで、傷つく人も多いはずだ。

共感性がない人はいない。
情動的共感、認知的共感、
どちらが優れているなどもない。

情動的共感は、温かさがあるのかもしれない。
気持ちそのものを“共有”する、といった感覚。
逆をいえば、冷静さに欠ける。

認知的共感は、経験や知識によって高めやすいようにも思う。
こちらの共感の方が、
相手も自分も、安心していられるつながりが築ける気もする。

流行りの
「共感力を高めよう」が伝えたいのは、
『相手の気持ちに寄り添いましょう』
ではないだろうか。

同じ気持ちにならなくてもいい。
寄り添い方は、それぞれだから。

2024.11.7

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