「お茶出し」は、意味のない仕事なのか?
さて、昨日、こんな記事が出ていました。
まずは、この記事を、読んでみてください。
「お茶出し」の仕事
今の時代論ずる必要はないかもしれないけれど、僕自身も「お茶出し」という「業務」そのものは、無意味なものだと思っています。
でも僕が新卒の頃は、大手企業ですら女性のお茶出しが当たり前だった時代がありました。若い世代には信じられないかもしれませんが、たった30年前はそういう時代でした。
男女雇用均等法が施行されたのは1986年。
僕が新卒の1991年は、施行からまだ5年。同期はようやく「女性総合職」採用が数名始まったくらいで、男女平等なんて時代ではなかった。女性陣は大半が「一般職(事務職)」。同期の中には高卒、短大卒のメンバーもたくさんいて、女性社員は全員全員制服着用を義務付けられていました。
今考えればなんと恐ろしい時代だったのかとぞっとします。
当時は、当たり前に女性が「お茶出し」をしていました。上司は、当たり前のように女性社員に「おい、お茶」と言い、新入社員の女性は、怖いベテラン先輩女性社員に「あなたのお茶出しが下手」と怒られていました。
「お茶出しをやめる」ことで、困る人もいる
前述の記事を見て、皆さんはどう感じますか?
「なんて時代錯誤な。今でもそんなことが」
そう感じるのではないでしょうか。そもそもお茶出しの仕事を事務職の女性がやっていたこともあり、「女性差別」の仕事のやり玉にも挙げられています。
実際の現場ではどうなのでしょう?東京の企業や大手企業では、あり得ない仕事になっているのではないでしょうか?
でも、僕がお手伝いしている会社で、東京でも歴史が長く体質の古い会社や、地方企業では未だに当たり前にお茶出しをしている企業があります。
でも、そういう企業は、安定的な事業収益を出していて事業基盤は盤石、大手ではないけれど立派なしっかりした企業だったりする。
僕は、自分のことを人の手を煩わせてやってもらうことは、その人の時間を奪ってしまうことだと思っていて、それがとても嫌なので、その中の一つの企業で、お茶出しをしてくれた女性社員に、
「僕は自分でできるので、お茶出しはやらなくて大丈夫ですよ」
と、やんわりとお断りをしました。
僕は、彼女は喜んでくれると思っていました。
でも、予想に反し、彼女はとても怪訝そうな顔をして、明らかに困っています。
上司から言われているので怒られると思っているのでは?と考えて、上司にも言うと「僕もこれいらないと思っているんですよね」と言う。
社員の大半は、与えられた仕事をやっている人
社内のリーダーの女性に、こんなことがあったんだけれど、と聞いてみました。そうしたら、返ってきた答えは、
「彼女は、これまでずっとお茶出しをやっていたし、自分が与えられた仕事をとられてしまうと思っているのではないでしょうか」
そんな答えが返ってきました。
与えられた仕事を奪われてしまう。
この反応は、想定していませんでした。
「お茶出しという”業務”は無駄かもしれないけれど、その仕事を短絡的になくすということは、それはその仕事を与えられた人たちの”自分の仕事”を奪ってしまうことに繋がってしまうかもしれない」
お茶出しの業務をとられた社員は、果たして幸せになるのか?
そんな疑問が、僕の脳裏をよぎります。
お茶出しをしていた社員は、上司や周りから「あなたの重要な仕事だから」と教えられて育ってきたわけです。
「その仕事にしがみついている人たちが悪い」とか「もっと自分で建設的な仕事を作ればいい」という声もあると思いますし、その通りだと思います。
ただ、組織の大半の社員は、「与えられた仕事をやっている人」であり、自分の仕事を生み出そうと思っても、組織の論理でそれができない人も、多くいるのではないでしょうか。
お茶出しという「業務」を否定しても、役割を与えられた社員は一生懸命頑張っている。短絡的に無駄だからといって業務をなくすことは、やっている社員の自己否定につながることもある。
この視点に、気づかされました。
「変化で泣く人」は、捨てられるのか?
僕の仕事は、組織課題をあぶり出し、改革を行っていく仕事です。
「変化」は、時として痛みを伴う。
もちろん、痛みがない改革はありません。
でも、その中で、仕事を奪われてしまう人もいる。
そもそも、改革が必要な企業はこれまで変化をできなかった会社。そこにいる社員は、変化することを求められてこなかったと思います。以前の上司に役割として与えられた仕事、これまでは”正しい仕事だったはずです。
「人事の仕事は、組織改革とともに、社員の幸せも併せて考える仕事」
僕は、そう考えて、人事の仕事をしています。
例えばお茶くみの例。
お茶くみの業務を、なくすのは簡単です。でも、それをやっていた社員の仕事を奪うことでその人そのものの否定をするのは、違うと思います。
改革をして仕事の断捨離をするならば、なくなる仕事をやっていた人の新たな立ち位置まで、配慮するべきだと思うんです。お茶くみをやめるのであれば、そのお茶くみをやっていた人の、新たな「役割」を与えてあげる。一方的に仕事を奪うのは簡単だけれど、社員がしっかりと機能する役割付与も、人事の立派な仕事だと。
そして、もしその他の仕事ができる能力が足りないのであれば、「できない」とレッテルを貼る前に、しっかりと育成の機会を与えてあげるべきなのではないでしょうか。
企業の大きな使命の一つは、「雇用」です。
しっかりと社員に仕事を与えてあげる、そういう使命があるはずです。
でも、ここにきて企業の責任である「雇用」が揺らいでいます。
実力の差が雇用の差にどんどん繋がっていく時代であることは、明らかです。そうしないと、企業はこの厳しい時代に、もうもたない。
だからこそ社員の努力は必要です。
でも、変わるチャンスが与えられてこなかった社員に、今日からあなたは変化できない人だから、いらないです、とバッサリ切ってしまうのは、果たしてそれでいいのでしょうか。
変化についていけない社員は、セーフティネットがなく行き先が見つからないので、さらにしがみつく。これは、企業にとっても個人にとっても良くないことだと思います。これからの転職マーケットは、優秀な人だけが行き先が見つかるだけでなく、様々な人が仕事を見つけられるようにセーフティネットにならなければいけないと思います。
「20年あなたは会社の意向に忠実にやってきたけれど、方針が変わったからもういらないや」という世の中では、あまりに寂しすぎやしませんか?
「君はもう明日からはいらないよ」ではなく、社員一人一人のキャリアの道筋をつけてあげる、人事とは、そんな仕事であり続けたい。そう心から思います。
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