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自閉症ルーティンを崩した方が良い、と思う考え方

人生とは、予定通りに、とは中々いかず臨機応変な対応の連続だ。

朝の通勤路・通学路は、毎日同じ時間に家を出発したとしても、同じ時間に目的地に着くとは限らない。
体調もいつも良い訳ではない、良い日もあれば悪い日もある。


信号に引っかかるかもしれない、道路が通行止めかもしれない、雨で交通量が多いかもしれない。忘れ物があるかもしれない。

しかし我々は、臨機応変にそれらの小さな不測の事態に対応しながら、日々を送っている。
時間に遅れそうなら走ったり、別の道を使ったり、先方に遅れると連絡する等である。

そして、その小さな不測の事態が起こると、その都度我々の心には、小さな不安が生まれているはずだ。
ただ、殆どの人は上手に感情をコントロールして、小さな不安を対処する。

しかし、ASDの人たちにとって、それらの小さな不安に揺さぶられた感情を上手くコントロールする事は容易ではない。
ルーティンを崩した・崩された時に、心に生まれた小さな不安を処理できずに、パニックを起こしてしまう。

これが、ASDの常同行動や拘りを崩した時のパニックだ。


児童支援や児童福祉の現場で多く見られるのは、拘りに付き合う対応だ。

ルーティンを崩してしまう事で、集団活動が上手くいかない場合(人員配置や職員の人数、対処能力により)どうしても拘りに付き合わざるを得ない為かと思われる。


そんなASDには

限定的な行動に拘りをもったりする(反復した常同的行動)= ルーティン

という特徴がある、という記事を以前書いた。


成功体験が極端に少ない児童は、少ない成功体験に拘る傾向が強い。
それが限定的な行動に拘りを持つ原因だったりする。


例えば、ASD児童が学校へ登校する際、“◯分前に出発したら遅刻しない”という成功体験をしたとする。

すると、その成功体験により“◯分までに出発しないといけない”という拘りになってしまう場合がある。
そこから時間への拘りに発展し、「今何時何分ですか?」と確認行為に移行してしまうパターンが考えられる。

一般的には「遅くなりそうな時は、急いで行く。」といった臨機応変な対応をするが、そういった柔軟な対応が難しい方々は、

「もしも予定の時間から遅れてしまったら、どう対応したらいいか分からない!」

という強い不安に駆られてしまう。
そのため、上手くいった条件・経験を再現しようとする。


もしも、毎日全く同じスケジュールで同じように生活できれば、
上記例のような時間の拘りがあったとしても
問題なく生活する事ができるかもしれない。

しかし、実際は毎日全く同じスケジュールで生活、ということは難しい。
不測の事態が起きる度、不安に駆られてしまう訳だ。


では、果たしてこの“拘り”に付き合う対応は、対象児童にとって良い事なのかどうか、という疑問が湧いてくる。

“拘り”に付き合う対応を続けることで、拘りを強化してしまい、
「必ず◯◯という対応でなければ、安心できない!」
といった、不安要素になってしまう。


冒頭でも話したように、
人生とは不測の事態の連続である為、個人的には「拘りには付き合わず、ルーティンを崩した方が良い」と思っている。


実際に支援対象だった、ある5歳のAくんの対応について話そうと思う。

Aくんには“扉を自分で閉めないと気が済まない”という拘りがあった。
これは、保育園で開いていた扉を閉めることで
先生から褒められた!という成功体験から生まれた拘りだと考えられる。

そのため“扉は自分で閉めないと気が済まない”という拘りになってしまった。

場所を選ばず、お店だろうと施設だろうと、扉を閉める拘りが出てしまい日常生活に支障を来していた(=周囲の方々が困っていた)。
また、Aくんの扉を閉める行為をやめさせると、パニックになってしまい、保護者や保育園の先生方は困っている状態であった。

実際に行った対応としては、
「周囲にある扉を全て開けておき、そのままにし続ける(扉には触らないように声掛け・見守りを行う)」
という支援を行った。

Aくんはどうしても扉を閉めたい拘りから、はじめはパニックを起こしていたが
日々同じ対応を続けることで、拘りは徐々になくなっていき
Aくんがパニックを起こすことは無くなった。

確かに一度パニックを起こしてしまうと、集団活動や集団生活では
対応が難しい場面も多くあると思われる。

その日の“集団活動や集団生活をスムーズに行う”ことも確かに必要だとは思う。

ただ、長い目でAくんを支援していくことを考えた時、
ストレス要因を少なくしていく為には、拘りを減らしていき
どんな環境下でも過ごせるように支援していく事も重要だと思う。

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