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なんでも読みます(8)なにも読まない
暑い夏だった。終わらないのではないかと思うほど、長い長い夏だった。でも地球は周り、季節もめぐる。Tシャツの上に羽織るカーディガンがほしい。
「なんでも読みます」、今日は飛び込みのお客様だ。40代と思しき女性は昼下がりに訪れ、予約していないことを丁寧に詫びた。きちんとした言葉遣いから人となりが想像できたが、こちらに目を合わせることはなく、何ものかに支配され、心ここにあらずといった様子に見える。
いつも通り飲み物の注文を聞き、奥の小部屋に案内した。
何を読みましょうか?と尋ねると、
「何も読まなくていいので、話を聞いていただけませんか?」と彼女は言った。
「私はカウンセラーではないので、お話を聞くことぐらいしかできませんが・・・・。」
「ええ、それで構いません。話を聞いてもらいたいんです。カウンセリングって、予約がなければ受け付けてもらえないでしょう。だから今日も無理だって断られたんです。でも急に誰かに話を聞いてもらいたくなることって、あるでしょう?そういう気持ちって、急にやってくるものでしょう?」
第一印象を覆すように、彼女の口から次々と言葉が流れ出る。早く話したい、自分を支配する何ものかから一刻も早く逃れたい、そんな気持ちが伝わってくる。
急にどす黒い思いに囚われ浸食されてしまいそうな時は、確かに、ある。誰かに話せば少しは楽になりそうだけれど、あまりにも生々しく、身近な人に話すわけにはゆかない。でも苦しさに耐えられない。脱出の糸口を見つけたい。回答や助言がほしいのではなく、話すことで頭を整理したい。そんな思いは急に訪れるものだから、予約などできるものではない。
「私は自分で何かを決めることが苦手なんです。迷いに迷ってなんとか決断しても、それでよかったのかと後悔して、自分を責めてしまうんです。」
「私の人生はその繰り返し。自分に言い訳をばかりして、結局何も成し遂げることができなかったんです。そんな自分がいやでたまらないんです。」
「しっかりしているように見えて、心の中ではいつも迷ってばかり。実はオロオロしているんです。」
「ちゃんとしているように見えて、ちっともきちんとしてないんです。傷つけてきた人もたくさんいるし、気づかないうちに傷つけた人なんて数知れないと思うと、自分がおそろしくなるんです。」
「夫もいない、子供もいない、財産もない、大した仕事もしていない。何者でもない、実は私はダメな人間なんです。」
彼女は堰を切ったように話をした。おおまかな家族関係や、そんな思いに至る経過にはよく分からない部分もあったが、聞き返すと彼女がまた毒を飲み込んでしまいそうで、ただ耳を傾けていた。
きっと彼女は、自分がどのように見られているかを、常に意識して生きてきたのだろう。物分かりのよい「いい人」と周囲から思われ続け、頼りにされてきたのだろう。彼女なら常に正しい決断を下すと思われているから、そうあらねばならないと思いこんでいるのだろう。だから迷ったり間違ったりしてしまう自分を、許すことができないのだろう。いつも強い人でいなければならないと、思い込んでいるのだろう。彼女の目はいつも自分以外の人に向いていて、自分を見てはいないのだろう。だから自分の立ち位置をはかるには人と比べる以外なく、比較対象が多すぎて、みじめな気持ちにさせられるのだろう。
最初はささいなきっかけだったはずが、考えるうちに沼にはまってしまったにちがいない。そこまで悲観的になることはないのにと思い、かける言葉を探してみた。でも彼女は話したくて来たのだから、それを求めてはいないだろう。助言がほしいのではなく、実は答えを知っているのだ。深い悩みを完全に取り除くことはできないことも、これからも付き合っていかなくてはならないことも。
「でもね、いつもそういうことばかり考えて生きているわけではないんです。何かの拍子に、ふといやな思いが湧き出てくる。そんなときはとにかく誰かに話を聞いてもらいたくなるんです。」
話すペースがすこしだけ遅くなった気がした。
昔見た映画で、やましいことや悩みがあると、教会の懺悔室に駆け込む場面があったのを思い出した。教会の片隅の小さな部屋で、神様に語りかける。神父さんが隣で話を聞いていてくれるが、壁に隔てられているので顔は見えない。声に出して懺悔し、ただ神様に赦しを請いたいのだ。心の内を吐露し、考えをまとめたいのだ。誰だってそんな気持ちになることがある。そんな予約不要の懺悔室が、たくさんあればいいのに。
やがて時間がきた。
「自分のことばかり話して、申し訳ありません。」と彼女は謝ったが、それが目的で訪れたのだから構うことはない。すこしは気持ちを整理できただろうか。目的は叶えられただろうか。
彼女を送り出したついでに、店の外に出た。秋の空はどこまでも高く、西日が眩しい。今日は何も読むことなく、懺悔室になってしまったけれど、それもまたいいと思った。
お望むみのものを、なんでも読みますよ。
なにも読まなくても構いません。
あなたのお越しを心からお待ちしています。