上書き保存的な、やめます。
ぼくは、自己啓発が好きで本やこのnoteの投稿やYouTubeなど、色々と見たり読んだりしている。
なぜ、自己啓発が好きか。
理想の自分に近付いている気がするからだ。
そして、好きな気持ちのもう一方に、焦りが隠れているのは知っている。
ぼくはもっと理想のぼくになれるはずなのに、まだまだ今の自分自身にしっくりきていない。
たぶん、この焦りも大きな原動力になっている。
自己啓発で学んだ知識は、薄紙を重ねるようにしか積み上がっていかないことは、これまでの経験上理解できているつもりだ。
しかし、自己啓発で学んだ直後は、あたかも全てがわかったような、学びが自分の思想に組み込まれて人生が変わったような、そういう大きな幻想世界に飲み込まれてしまう。
そして時間が経てば、薄紙一枚分ほどの成長は遂げるものの、あの時感じた大きな幻想世界は見事に消滅してしまう。
ずっと長い間、それを繰り返してきた。
その薄紙の積み重ねをどれだけ根気よく繰り返すか、そこが理想の自分に近付けるかどうかの根幹であると確信はしている。
そんな中、最近、自己啓発による偉人の思想や哲学を学ぶ中で気付いたことがある。
それは、学んだことを取捨選択し、自分なりの思想や哲学をその時その時で完成させなければ、情報に振り回されるだけで結果的に学びが生きてこないということだ。
世の中の全てのものには2面性がある。
わかりやすいもので言うと、例えば、『返事は全てハイかイエス』という考え方と、『他人軸でなく自分軸で生きる』という考え方がある。
どちらも正解。だが、自分がどちらでいくかは、はっきり決めておくべきだと思う。
中途半端が一番ダサい。それが今のぼくである。
こんな感じで、どんなに有名な偉人の思想や哲学であっても本来正解はないのだ。
『思想の嗜好』
意図せず短い早口言葉みたいになってしまったが、結局のことろ、全ては自分自身の嗜好の問題なのだ。
そのため、ぼくみたいに色々な人の情報を詰め込み、取捨選択することなく上書き保存させ続け、嗜好の着地点を見出さないまま突き進むことが、全くもって意味のないことに気付いてしまった。
これまでの自分の学びを意味のあるものにするために、今回、自分なりに考えを整理し『思想の嗜好』を書き出してみることにする。