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どこまで自分のことを文章に書くか

noteを始める前は、自分のことを書きすぎるのは気を付けておこうと思っていた。いくら匿名でやっているとはいえ、誰がこの文章を見つけるかは分からないし。
楽しかったことや嬉しかったこと、好きなことは書いてもいいけれど、悲しかったことや辛かったことを書きすぎると読む人達は引くのではないか。
書いた日記を読み返して「この頃の自分イタイやつだな」と振り返るように、私にとっても書いた文章が黒歴史になるんじゃないかと思っていた。

文章に自分の気持ちや性格がにじみ出るものになっていたらいいのだ。そう思ってnoteをスタートしたと思う。noteを始めた目的も、文章が上手くなりたいという気持ちだったし。そこまで自分をさらけ出す必要はない。

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しかしアウトプットをし続けると、昇華しきれなかった過去の想いがヌッと顔を出すようになった。
いや、このことを書くのはどうかなと一旦は仕舞い込む。
しかし…あの時言語化できず整理のつかないまま放ったらかしとなっていた気持ちがようやく分かりだした時、頭の中はそればかりに支配されてしまう。
昔っから私は気持ちの切り替えが下手なんですよねえ…(笑)

「うーん、分かったよ」と書いて下書きに保存するものの、「誰かに分かってほしい」というウジウジした気持ちが出てしまう。
まぁ知人にイタイやつだと思われていいやと投稿したり。フィクションを加えて誰のことか分からなくしたりもする。
だがそれでも、手を加えても、まだ危なっかしい文章のままであって。私の陰の部分がネットに公表されることになる。

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言葉を多く知らないせいか、自分の気持ちに名前をつけられずにそのままなことがあった。
もしくは他人に合わせすぎて、自分の感情に鈍感になっている時期の気持ちだったりもする。
今じゃ「言い返せばよかったのに」と思うことも、あの時はなんとなく違和感を覚えてそのまま時間が過ぎたなんて少なくない。

だからといって「なんであの時こんなこと言ったの?」と相手に言っても遅い。もうその人は忘れているし。あのとき自分を大切にできなかった自分が悪い。あの違和感に向き合わなかった私が悪いのだ。
あのとき向き合わなかったから、見てくれ気づいてくれと喚く過去の自分。作品にしたらいなくなるものの、「あー、やっぱり恥ずかしい。消そうかな。」と思ったりする。

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そんな闇、病みの投稿は隠したいところだけれど、それもというか、それこそ私の性格を作りだすもの。私を豊かにしてくれる、陽の部分をより明るく見せるものの一部なんだろうなぁ。

過去の辛い出来事も読む作品として上手く書く人っていますよね。自分をどこまで書くかがちょうどよかったり。

どこまで書いてどこから書かないか、投稿を続けたら感覚で分かるようになるのかな。
文章上手になりたい、書くなら読む人をクスッと笑わせるものがいいと思っていたけれど。気持ちの昇華方法として作品にしてしまう術も身につけたい。身に付けるまでは黒歴史を晒すことになるので、なるべく早めにね(笑)

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