生きている限り、バッドエンドはない…
大学受験の広告を電車の中で見るようになった。
「もうそんな時期になるのか~」「早いな~」としみじみ思う。
僕も大学は一般入試で受けたため、今の時期は心血注いで勉強をしていた。あの頃はどうしたらもっと効率的に、点数を上げることができるかと、手探りの日々を過ごした。
頭のいい人に話を聞いたり、予備校に通っていたので先生からもアドバイスをもらっていた。
どれも参考になったような、ならなかったような…
きっと正しいやり方というのはなくて、結果が出るのには時間がかかるというのが、最終的な答えなのかもしれない。
あの頃は志望校やどんな学部に行きたいのか、ちゃんと決めずに勉強していて、とりあえず有名なところに合格すれば、就職で有利だろうくらいにしか思っていなかった。
結果は惨敗で志望していたところにはすべて落ちて、センター試験で引っかかった大学に通うこととなった。
今になって思うことは、ちゃんとゴールを決めてそこから逆算して勉強すればよかった。でも、当時それができなかったのは、圧倒的なリサーチ不足と経験不足だったから。
当時の自分と比べて今の自分は、少し賢くなった気がする。おそらく勉強の類はあの頃の自分よりも、スマートにできる自信がある。
それは、受験勉強や大学での勉強、就職活動を通して、知識を増やしたからに限らず、勉強方法や自分に合った学び方が身についてきたからだと思う。
自分なりに勉強ンプランを立てることや、覚え方を工夫することは、誰かに教えてもらったとしても、一朝一夕には身につかない。毎日コツコツと継続して、初めて自分で身につけることができるものだと思う。
こういう感覚であったり、直感的な力、言語化できない知識や経験のことを「暗黙知」と呼ぶらしい。
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よく、学校の勉強は社会に出たら役に立たないだとか、文系の大学はいく意味がないと言う人たちがいるが、学校に行って勉強をすることはただテキストの内容を覚えるだけではない。
この「暗黙知」を鍛えていくことで、社会に出てから活躍できる人材に、なっていくのではないかと最近思う。
定期テストは仕事でいう納期みたいなもので、この日までに準備しなくてはいけないという感覚はどこか似ている。大学のレポートだって、自分で情報収集して、それを他人にわかるようにまとめて説明する力は、多くの職種で必要になる。
そういう点数化しづらい能力は、どうしても軽視されやすい気がする。例えば、就職活動などにおいて「誰とでもコミュニケーションを取ることができる」や「わかりやすい資料を作ってプレゼンする力がある」というのを面接官に伝えるのは難しい。
見られるのはその人の学歴や経歴であったり、たとえそこは評価しないと言いつつも、目でわかる部分から伝わる情報のインパクトは大きい。
「高学歴の人でも仕事ができるとは限らない」ということを大学時代に言っていた人がいたが、自分にとって受験をパスすることが簡単だったとしたら、それはあり得るの話だと思った。
そういう人はまだ、自分にとって難しい課題にぶち当たったことがないから、それを乗り越える力が育てられていないのかもしれない。
挑戦の数だけ失敗するリスクは増えるが、失敗したとしてもそこからリカバーする力も、大事な力だと思う。これは自分にとって簡単ことだけをしていたら身につかない。
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大学受験がうまくいかなかった時は、すごく悔しい想いをした。
当時はこれが最終学歴になるわけで、この先の進路も決まってしまうと思い込んでいた。(本当は大学に行けるだけでも有難いことなのに…)
でも今になって思えば、だからこそ大学での勉強や、就職活動を頑張れたと思える。悔しさをバネにいろいろ挑戦することができた。
今は自分の就きたい仕事に就くことができて、大変な日々は続くけど何とかやって来れている。
昔に一回挑戦して失敗したから、次も失敗すると思い込み、挑戦を諦めていたら、今の自分は存在しない。前に一度やってみてうまくいかなかったというのは、それはその時できなかったということに過ぎない。ずっとできないわけではない。
「生きている限り、バットエンドはない。僕達はまだ途中だ。これから続きをやるのだ。」