どんな結果だろうと一生懸命やったのならそれでいい
最近そんなに寂しくない。
いや、寂しいのだけれど、前ほど切なくなることがなくなった気がする。
今までは、休日も何かと予定を入れようとして、躍起になっていた。
予定が埋まらないと、時間をうまく使えていないような気がして、さらに不安が募る。
でも、最近は何も埋まらない日々も、それはそれでいいかなと思える。
家ではピアノ・ギターを弾いたり、観たかった映画を観たり、
本を読んで過ごしている。
前から続けていたことだけど、今までの自分はどこかそういうものを楽しめていなかった。「他にやることがないからやっている」という感じで、心の底からやりたくてやっているわけではなく、何とか今日という一日を凌ぐためにやっていた。
それがここ2~3ヵ月くらいは心からやりたいと思ってやっている。
何が変わったのかはよくわからないけど、たぶん”余白”を楽しめるようになったのではないかと思う。
別に仕事が落ち着いたとか、いい人に出会ったとかそういうのはないのだけれど、どうしようもないことで、クヨクヨすることが減った気がする。
もしかしたら、思いっきり失敗して、清々したのかもしれない。
大概のことについて、物事はうまく行ってほしいものだけれど、いくら頑張ったところで、思い通りには事は運ばない。どれだけ面と向き合っても、想いすれ違うこともある。
若い時は”成功”に執着してしまう。
「あの学校に入らなきゃいけない」とか「あの人と絶対に付き合い」とか…
逆に言えば、執着できるからあそこまで頑張れるものなのかもしれない。
歳を重ねるにつれ、いろいろ諦めがついてくる。
単純に面倒くさくなったのかもしれない。別に手を抜いたり、一生懸命やっていないわけではない。
ただ、「どうしようもないな」と現実を少し受け入れやすくなった。
他人と自分を比較したところで、何かが起きるわけではない。強いて言えば、惨めさが増すばかりだ。
それに「諦めも肝心」という言葉が妙に胸に染み入る。
諦めること=悪いこと
と捉えがちだけど、諦めたからこそ選べる選択肢もあると思う。何か一つのことにこだわっているときは、他の選択肢が見えてこない。
それにさっさと失敗して、「ダメなら次」って動ける方が健康的だ。
ダラダラと自分に合っていないことで思い悩んだり、身動きが取れないのはもったいない。
もちろん、タイミングを見極めることも大事だと思う。
焦って動いて、後悔するよりかは、ちゃんと考えて動くことも大事だ。
でも、最後は”えいや!”って決めたいものだね。
一つのことばかり偏執的にこだわっていては、善く生きているとは言えない。
大概のことは、思い通りにはならない。むしろ、そっちのほうが普通だ。
だけど、チャレンジしたことにはきっと意味があって、やらないよりかはやって後悔した方がいい。いちばんいいのは、やって後悔しないことだけれどね。
うまくいっても、いかなくても、本質的には変わらないと、
以前とある方から教えていただいた。
人生、いつ転機が訪れるかはわからない。それを自分の意志ではコントロールすることができない。
それに、何もかもうまくいっている人なんていない。みんな見えないところで問題を抱えていたりする。
だから、むやみやたらに他人を羨む必要はない。
まあ、どんな結果だろうと、一生懸命やったのならそれでいい。