最高な時間の使い方など無い
私にはお付き合いしている恋人がおり、毎週末は彼女の家に泊まることにしている。
おまけに今週月曜日は「成人の日」と祝日であったため、彼女の仕事もお休み。
さらにある事情で、友人を加えた3人でお泊り会をすることとなった。
そんな中、気がかりなことがあった。
ペットの犬のことである。
名をテディという。
もう13歳になるため、体の調子が悪い。
最近は脳に腫瘍ができて、頭が傾いてまっすぐ歩くことも難しいようだ。
散歩には喜んで行くものの、糞尿も昔のようにはできず、家の中では寝ていることが大半だ。
そして、散歩は大半私の役目である。
もちろん父母が行ってくれることもあるが、平日は基本私だ。
だが、月曜日まで恋人の家に泊まるということは、テディの散歩には行けないということである。
心苦しい
と書けば4文字で済むが、本当に私の頭の中は強い葛藤があった。
そんな中、電話がかかってきた。
画面を見ると、近所に住んでいる祖父からだ。
内容は「今日家にいるのか?居るんだったら遊びに来ないか?」というものだった。
泊まれば、祖父の家にも行けなくなる。
祖父は、去年原付で事故を起こした。
死に至るほどではないが、ある程度の怪我をした。
今は少し近所を歩くことはできるようになったが、私の幼いころの元気で勇ましい姿は、見る影もない。
正直、もうテディも祖父も長くはないのだろうと感じている。
だからこそ、一緒にいる時間が目減りすることを実感するのは心苦しいのである。
恋人のところに泊まれば、祖父とテディには会えない。
祖父とテディのところに居れば、恋人との時間が減る、、、。
結果的に、恋人の家に泊まることにした。
どれを選んだとしても、大切な他人と時間を共有しているからだ。
不謹慎だと分かって言うが、どうせ皆死ぬのである。
それがおそらく、私や恋人よりも、祖父やテディが近いというだけだ。
もちろん、時間の分配が偏り過ぎてはいけない。
恋人に時間を使いすぎて、テディと、祖父と過ごす時間が0というのも頂けないし、
その逆もいけない。
ついでにもう一つ不謹慎なことを言うと、どうせ後悔するのだ。
もしもみんなへの最適の時間の分配が分かったとして、その通りに恋人、祖父、テディと過ごしたとしても、
もしくはそのうちの誰かと死ぬまでずっと一緒に過ごしたとしても、
その人が死ぬときにはどうせ後悔するのである。
「もっとこうしてやればよかった、ああしてやればよかった」と。
つまり、最高の時間の使い方など存在しないのである。
他人と共有していて、楽しい時間であり、
その配分に大きな偏りがないのであれば、思い悩む必要などないのだ。
どうせ死ぬし、どうせ後悔するのだから。
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