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やらない選択

切羽詰まった時、苦しい時、ダメになりそうな時に思い出す事がある。それは

2008年 家具のgesällstycke という職人試験を受けた時のことだ。

試験は 事前に製作計画書を提出。そこには"何を作るのか" " 製作時間の作業工程とそれにかかる時間" "材料の計画と分量" (製作の家具は自由だが、鍵・扉・ひきだし等 指定された技術を組み込む必要がある。)その後、それに添って 試験官から製作の有効時間が与えられる。その時間を厳守し、毎日の作業を記録しながら製作記録を記さなくてはいけないのだ。
更に試験は一次試験 図面 、二次試験 製作に分かれていて、図面は手画き(今はCADでも良いらしい)、二次試験は製作。採点は私達の時は3人のマイスターが添削。図面との正確性、木工技術の精密さにより マイナス式減点採点される。

当時の私は悩んでいた。

自分の力量が試験を受けるに値しないのではないか。 合格できないのではないか。失敗したらどうしよう。と

そんな時 クラスメイトの一人が言った

"私は受けない"

驚いた。 この学校の木工科は この職人試験を受けるのが目標だから来る人が多い。何故ならば 通常3年間家具マイスターの元で働く又は勉強しなくては受験資格が得られないのに 、この学校は3年通いマイスターの先生が許可を出せば、受験資格を得られる。だから全国から入学を希望する人が多く、倍率も高い。

私は受けない。

発言した彼女に聞いた。何故か。頑張って来たのになぜなのか。

理由は特になかった。

何となく今は受けたくない。


Feelingでこの3年を無駄にするのか。


それからしばらくして 先生に思いを相談した。試験を受けようか悩んでると。

答えは

やりなさい。と私は言ったことない。やるも辞めるも君次第。 諦めるならそれでいい。やるなら全力でサポートする。受けなくても誰も困らない。君の心と決めなさい。

この返事を聞いて 我に返った自分がいた。

そうだった。 誰からも頼まれてなかった。

やらなくては。と いつからか責任意識を作り上げて 自分を苦しめていた。 3年無駄なことはない。それなのに"3年頑張ったから受けなくてはいけない"という方程式を勝手に作りあげて苦しめていたのは自分だった。


先生の一言のあと、試験を受けることにした。

落ちても良いや。

なんかそう思えた。

誰からも受かりなさい。って言われてないし

そう思ったら楽になった。

今も時々

やらなくてもいんだよ

がふと頭に過る。

そんな懐かしい思い出

13年前


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