映画『グレイテスト・ショーマン』が教えてくれた思考迷路の歩き方。
成り上りだっていい。誰でも偉人に成れる。
私はよく考え事をするのですが、ワンシーズンに1度程のペースで大層な思考の迷路に入り込んでしまうことがあります。
というのも、誰かにヘルプを求めるのがイマイチ苦手だというのと、教えてもらったアドバイスは必ずやらなければいけないと思い込んで優等生ぶってしまうからです。
日常の何気ない小さなことで甘えたり相談はできるのに(自分の中で)壮大なテーマになるほど殻に閉じこもってしまう。世界は広がるどころか狭くて小さい毛細血管並みに複雑化した迷路に突入してしまうのです。
まあ…だからこそ、映画から連想する料理cinemanma(シネマンマ)、が生まれたのですが。
そんな時は苦しくて、どこにいても誰と居ても、なんとなく焦燥感を抱いてしまうし、何をするにも頭の片隅には不安がいっぱい。
体はいつものペースで動いているのに、頭の中は世界から取り残されてスローモーションになります。「自分」という一人の人間でありながら、ズレが生じて二人分生きているような感覚になるのです。(もしかすると世の中には三人、四人と複数人を作り出してしまう人もいるかもしれません。)
このズレこそ脅威の正体で、ちょうどこの記事を書き上げる前の私はそんな状態でした。
今回の思考地獄が「春の思考迷路」というマイナーなゲームだとすれば、このダンジョンのボスですね。
このズレが生じてしまうと、何が分からないかも、分からなくなってしまします。
劣等生現象です。けれど優等生ぶりたい自分がいるわけですから、そうなるともう行き止まりなのです。
数年前はこういう時に映画を観て、一人で解決をしました。
「映画を観た後なぜか自分の人生がちょっと良くなったような気分になることがある。」
cinemanma(シネマンマ)の決め台詞は自分が映画に助けてもらった恩があるからこそできました。
勘違い屋のミラーニューロンさん
これを詠い始めた時は知りませんでしたが、私たちの脳には、ミラーニューロンという鏡のような細胞があって、人が受ける言動や感情、良い事や悪い事も自分のことだと錯覚してしまう勘違い屋な脳伝達細胞があると考えられているそうです。
すごいですよね。脳ってとんでもなく複雑で優秀。最先端医療や宇宙開発、はたまた芸術作品や革命だって起こせるのに、どんなにすごい人も勘違い屋の「ミラーニューロンさん」がいるらしいのです。
この事を知って、私はこのcinemanma(シネマンマ)というプロジェクトを絶対に世に送り出すべきだと確信しました。
だって「映画の中に見る人生はきっと誰かの毎日にヒントをくれるはず。」なんです。登場人物と一緒に成長し、夢や目標達成を疑似体験すれば、あとは実践してみるだけです。
できるかどうかは結局は自分次第ですが、シミュレーションすることで、できる確率は格段に上がる。逆を言えば、失敗ばかりやネガティブな作品を観たり人から聞いていると、できない確率の方が上がってしまいます。
ですから、例えば、感性で生きている芸術家タイプの人たちは特に、映画一本選ぶのにも誰かと食事をするのにも気をつけなければ負の引力に反発できなくなります。
ただ・・・そういう引力に引っ張られることも時に必要です。
それによって救われることは大いにあります。ただ、ずっとそこに留まっていては絶対に迷路から出られないのです。
迷ってもいい、とにかくどこかに歩を進めなければどこへも出られない。時には踵を返して少し前かスタート地点に戻ればいい。一度歩んだ道ならば今度は安心して進めるから。
素通りすべきでないのは、曲がり角や重要なポイントにいる案内人や魔法使い、他愛もない会話をしてくれる村人です。
一人で進む迷路は怖くて立ちすくむけれど、アイテムやそんな人たちに出会ったら潔く助けてもらうのは悪いことじゃない。それに、もしかしたら案内人や村人は誰かが来るのを待ちくたびれているかもしれません。
彼らの言葉もきっと誰かの受け売りでしょう。本の中の偉人か、師匠や先輩あるいは後輩から学び得たことかもしれない。でも、信頼の置ける人たちの言葉やリスペクトできる相手の言動であれば素直に受け入れることができます。
そう言われたとしても、ヘミングウェイに会ったことはないし、どんな人かも知らないので、どれ程優れた偉人の名言に出会っても、その言葉は話をしてくれた相手のオリジナルになっています。
案内人や村人も、実は立ち止まっているのではなく、彼らの迷路を歩んでいるからその言葉に出会い、次の誰かにヒントをあげられるのです。
私たちはそうやって、知らず知らずに次の世代に何かを残せているのかもしれません。だとすれば、少しは迷った方が面白いのかもしれませんね。
私の場合は、この言葉たちがどこかの誰かのヒントになれば最高に幸せです。きっと、届くはず。そう願いながら書いています。
映画『グレイテスト・ショーマン』
人や物との出会いには意味があるような気がしてなりません。どれも偶然なのだろうけれど、フィーリングが合うのにはきっと理由があります。そういう意味でこの作品とは抜群にフィーリングが合いました。
実在する興行師P.T・バーナム氏の伝記的映画。彼は何をした人かというと、簡単に言えばサーカスを世に広めた人です。彼自身に特別な身体能力があったわけではありません。仕立屋の家に生まれ、幼くして親を亡くし下級層として生きてきたことで、絶対にのし上がりたいという抑えられない想いを持っていました。
幼い頃から愛し合っていた幼馴染のチャリティを幸せにするべく、彼は溢れ出るアイデアをどんどん現実にしていきました。それがサーカス。
映画の中で、“フリークス”と呼ばれる、世間から奇人・変人と追いやられてきた者たちを舞台にあげたのです。
今で言えば、黒人や障害のある方々。当時のアメリカでは罵声を浴びせられるのが当然で、彼らは息を潜めて暮らすほかありませんでした。
バーナム氏の発想は、時代の先を行き過ぎていたのか…案の定、罵声や批判がつきものでした。
それでも彼は辞めることをしません。無鉄砲とも言えるほどに突き進む。それは、時に寄り添ってくれた家族さえも離れてしまうくらいにエスカレートしていきました。
「大切な人を幸せにしたい」という願いは、いつの間にか見えない相手へ向けた闘争心になっていたのです。
とはいえ、このお話はエンターテイメント。最高のショーで締めくくられます。
ですが、自分の人生に置き換えた時、これからも続いていくであろうこの人生をどう作っていくか全ては自分次第です。
この映画を観て、わたしは再び夢に向き合えた気がします。
「夢を追いかけ始めた理由はなんだっただろうか?」
「自分にとっての幸せとは一体なんだろうか?」
『グレイテスト・ショーマン』は、初心を思い出すことができる映画です。
そして、「自分の行動で一体誰を幸せにできるだろうか?」そんなことを深く考えるきっかけになりました。
映画『グレイテスト・ショーマン』から連想する祝祭のケーキ
お祝いの日には、テーブルにたくさんの料理が並びますが、最も目を引くのは豪華に飾られたケーキ。
それがあるだけで、いつも食事をしているテーブルがまるでステージのように非現実的な世界に変わりますよね。非現実で人々を魅了するのがグレイテスト・ショーマンなのではないでしょうか。
彼がサーカスを思いつくきっかけになったのは幼き日にある老婆から手渡された林檎。
その林檎をベースに、LOVEや華やかにだますサーカスの世界をお祝いの日に贈るケーキにしてみました。てっぺんにはバーナム氏に見立てたピーナッツを立たせて。(作中成り上りという意味でバーナム一家はピーナッツと呼ばれます。)
そして家族で夢を語った夜に願いを囁いたロウソクを灯しました。
ロウソクは月の明かりを意味します。
ヨーローッパでは昔から「ロウソクの煙は天に願いを届ける」と言われ、いつの間にか誕生日には主役が願いを込めて火を吹き消す風習になったのです。
そんな映画のシーンを込めたサーカスのようなケーキが完成です。
ふふふん(鼻歌)
毎日のエッセイはInstagramに綴っています
子供の頃から映画に魅了されたわたしは、大人になって、「食でストーリーを伝える」フードアーティストになりました。
今年から、Instagramを毎日更新しています。フードアーティストの舞台裏、料理×アートの制作過程・料理の知識を投稿しています。
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それでは、今日はここまでです。明日もいい一日にしましょうね。
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2024/03/17
小山嶺子(シネマンマ)
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