家庭的な環境
認知症グループホームは「家庭的な環境」とされている。
「家庭的」って、えらく抽象的な表現…。
で、実際に働いてみて少し違和感があったので、ちょっと調べてみた。
家庭的と家庭
ふと、不思議に思ったのでちょっと調べてみた。
で「家庭的」でググると、なんか「家庭的な女性」とかの結果が多いの。
無理がある
認知症グループホームは、その人の「家族」と離れて生活する人。
ずっと独身、途中から独身で一人暮らしだった人。
戦争を体験した人から戦後生まれの人。
生まれも育ちも違う人が、1人ずつ集まっての集団生活。
共通しているのは、「認知症」と診断されたことくらい。
で、これをどうしたら「家庭的な環境」になるのか。
無理があるんとちゃうかなぁ、って。
「家庭的」なモノたち
そこで施設にある「家庭的」な物をさがしてみた。
リビングにテレビ
ま、テレビはあるけど…
入居している人がチャンネルを握る権利はほぼない。
食卓を囲む
食事時間が決まっているので、入居している人は一緒に食べる。
おしゃべりもせず、黙食。
行為は一見「家庭的」に見えるけど、雰囲気は給食。
共同のバス・トイレ
「家族」があれば、自分専用のバス・トイレはない。
一人暮らしだと、自分専用入居している人が
家事を一緒にする
職員が「手伝って」とか言ってる時点で、なんかこれも違うなぁ。
「体が動いている時は、ここでパートで働いてたんよ。」
って何年も入居している人が言ってたし。
家庭的なモノ探すのって、難しいなぁ。
求められても…
私は、認知症グループホームは「家庭的」ではなくて、社宅や寮みたいだと思う。
職員は、寮母さんか管理人な感じ。
「介護スタッフとともに共同生活」と定義されても、介護職員に入居している人と一緒に生活をしている、という意識は無い。
「先生」と職員のことを呼ぶ人もいるくらいなので、入居している人もそうとは思ってないかな、と。
ほっとできる高齢者の居場所
もし、私が認知症グループホームってどんな場所?って聞かれたら、多分こう答えると思う。
「ほっとすることができる高齢者の居場所」
「決して家庭的な環境ではないけど、安心できる場所」
「安全」と引き換えに失うものは沢山あるけど、ほっとできる場所。
今のところ、そういう答えをするだろうな、と。