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同じ月を見ている

前から読んでみたかった漫画が全巻セットで1,350円で売っているのを見つけた。

「同じ月を見ている」

映画化もされています

注文から配送まで1週間ほどかかると書いてあったので購入してのんびり待っていたら、まさかの2日後に届いた。この日は3日後に控えた試験勉強に集中する休日。「勉強しないと間に合わないんじゃないか…」と思ったけど、結局気になって全巻一気読み。

漫画というより小説や映画のようだった。
それほどストーリーに引き込まれた。1巻から、恐らくドンちゃんは最後にこういう選択をするだろうなと思った。人の気持ちや感情を感じやすい人は、きっとそうしてしまう。自分がないというよりも、自分と人の境界線が薄いというか。自分ならこうするとか、自分が正しいとかよりも、相手を感じとってしまうと、そうせざるを得ないというか。しあわせな生い立ちではないから「自分」という価値を持ちにくいだろうし。そんな中でも、エミとの約束を守るまでは生きにくい世界で生きることを決めていたんだろうな。ドンちゃんは。

ドンちゃんの愛は大きい。大きすぎて、たぶんふつうの人には分からなかったり、逆に怖かったりすると思う。恐れがないから。ドンちゃんには恐れも迷いもない。でも、そんなドンちゃんでも恐れや迷いが生まれるものがあった。それがエミだったんだね。恐れや迷いが生まれる一見愛とは正反対に見えるものが人間的な愛情なんじゃないかと思った。言い方を変えると失いたくないもの。そう考えると、てっちゃんのエミへの想いは愛情なんだよな。てっちゃんの立場ならそれはよくわかるし、人間的な世界では愛情が本当の愛だと認識されてるような気がするから。

私は愛というものが、よくわからなかった。「愛があれば大丈夫だよ」などと言われると混乱した。だってわからないから。

「これが愛です」というハッキリとした形はなく、相手が愛のつもりでも私は嫌な場合もある。その逆もあるだろうし。

学生の頃などに「私たち親友だよね」とか「最近他の子たちとばっかり話してる」とか言われるのが苦手だった。形で縛られると逆に嫌になる。そして「親友だよね」と言う人ほど、私の気持ちはあんまり考えてないなと感じたりもした。でも、一般的にはそういう関わり方というか、「そういうもんだ」というのがまかり通っていて、その形に合わせようとしたりもした。

でも、それを無理して続けると、結局「思いやりがない」とか「人の気持ちを考えろ」と言われたりもした。人の気持ちを考えてるつもりが考えてないと言われて、どうやったら人の気持ちがわかるのかわからない。私には愛がないんだと思ってた。

ネタバレしたくはないのであまり詳しい内容は触れたくないけど、4巻でドンちゃんとエミの肉体が離れて死にかけるシーンがある。そのシーンに不思議と既視感があった。不思議過ぎてうまく説明できないけど、何かわかると思った。「私死にかけたことあったっけ?」と思ったけど、もしかしたら軽トラに轢かれて意識なかった時に一度いってたのかもしれない。そのシーンで唯一、ドンちゃんは迷うんだよなぁ。そのシーンに感動するのは、愛がわからないと思っていた私にも人間的な愛情がある証拠なんだと思えた。

全巻読み終わって、ドンちゃんは特別な人のようではあるけど、もしかしたらこれは男性の持つ本質的な愛の形かも知れないと思った。いろんな人がいるから一概には言えないけど。でも本質的には男性は人をしあわせにしたいという性質があるんじゃないかなぁ。個人に縛られる形ではない、大きな部分で。DNA的にたぶんそうなんだと思う。

そう思ったら、過去に出会ってきた男性の愛にふと気づけた。恋愛的な形では女性としての私は散々だったけど、好きだった人を笑わせたいし励ましたいから自分のことをエッセイみたいに書いてメールで送ったことが今のような文章を書くきっかけになったり、サービス業を学ぶ為に入社した結婚式場で好きだった人の結婚式を見届けたことで自分に自信がついたりした。恋愛という形では成就しなくても、私という人間にとっては大きなプラスになってる。もしかしたら私は好きだった人を踏み台にしていたのかも知れない。でもきっと、踏み台にされていたとしても、彼らは私を恨んだりしないんだろうな。私は人間の女なので嫉妬したり憎んだりもしたけど、その人たちはそんなことせずに、そんな私を悲しんで見ていた気がする。わからないけど。

20代の頃に読んだ三浦綾子さんの自伝「道ありき」でも、病気がちで自暴自棄になっていた三浦さんを親身になって寄り添い、三浦さんを自分の足で立たせる愛情を注ぐだけ注いで亡くなった男性の話が出てきたのを思い出した。やはり男性にはそんな性質がある気がする。

ちょうどこの前の満月近くに、流しBARで過去の恋愛話をしたり、月にまつわる歌を歌いながら、何で月を観ると特定の誰かを想い浮かべるのは何でなんでしょうねって話をしていたのだけど、形はどうあれ想える人がいることはしあわせなんだと思う。

そして、今まで受け取れなかったものを静かに受け取って喜んでいよう。一見わからなかったり、すぐにはわからなくても愛ならば伝わる。愛がわからなくてもいつか届く。月を見上げて、そう信じていようと感じた漫画でした。

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