自らの手と足で歩む唄
「沖縄DEナイト」終わりました!
4月はニライカナイ(弁天太朗)、喜納昌吉、cocco、どんとという比較的に自分が歌ってきた曲をチョイスしたので、今回はもっとディープ沖縄に挑戦しようと選んだのはこんな歌。
最初はatelier23の藍染Tシャツに白いスカートを着ようと思っていたのだけど、前日になって「いや、沖縄DEナイトはそんなに何度も出れるものではないし、今回の選曲や今の私にはコレ以上の衣装はない!」と、みるくゆがふを歌うカニTを選んだ。
私はどうしても「あの世」チックな歌を好んで歌う嗜好があるし、この日の選曲はBEGIN以外はあの世感強め。
そして西表島の道路で見たカニの死骸を見た際、車に轢かれて死んでるのにピースして陽気(ただそんな足と爪なだけだが)に見えたことに何だか感動して、「轢かれて死んでもピースしてるカニみたいな人になりたい」と思ったのを思い出した。
そんな想いを込めて歌った当日。
たくさん練習した割には何故かDmのコードミスが多かったのは悔しかったけど、それでも心を込めて想いを乗せて歌うことはできたと思う! それでも少しモヤモヤすることがあった。私は真面目すぎるんだろうか? と思って少ししょんぼりした。
そんな帰り道に思い出した言葉がある。はじめとおおじで活躍されているジャズドラマーの木村純士さんが以前SNSの投稿で音楽仲間から聞いて感銘を受けたトルストイの言葉。画家のマシマ タケシさんが教えてくれた石垣島で安里勇さんから伺った言葉。その言葉は私の目指すところだったのでノートに書き留めていた。それをここに記してみます。
私のギターや歌の技術では、まだまだこの域に達せられてない気はするけど、私は自分で好きな歌をうたいたい!と思った時からこれを目指していた。
どんとの「おめでとう」を聴いて何故か感涙してしまった。よくわからないけど「生きててよかった!」「生まれてきてよかった!」と感じた感動をもう一度味わいたいし、この歌を作ったどんとが見ていた景色を見たいと思って歌い始めた。大好きな歌を歌う時は、この歌に込められた背景や心情ごと味わって表現したいと歌う。その域に到達できるように日々歌うしかないんだなぁ。
ライブを終えて、足はまだ完治してないし、遠征や階段の登り降りはまだキツくてできないけど、徐々に歌う機会を自分から作っていこうと思った。
ライブの告知してもお客さんが呼べなくて申し訳ないし恥ずかしい気持ちと、なかなか上達せずに思ったようにできない悔しさ。変に耳が肥えてる上に音楽の好き嫌いが激しいから合わない人の歌や音楽を聴いてると辛くなったりもするし、仲良く交流するというのが苦手なので躊躇していたけど、そこも踏まえて、そんな私のままで勇気を出していこう。無理してやるから疲れるのであって、無理のない私を曝け出して歌っていこう。打ちのめされても歌ってみよう。本当に好きならやれるはず。やめてしまうなら、それほど好きじゃないだけだ。
自分が好きなもの、自分が大切にしている歌や音楽を貶されたりバカにされるのが怖かった。すぐに引っ込みたくなってた。褒めてくれるような人ばかりでなくても、思いもしなかったことや批判を受けても、「これが私の表現なんだ」と顔を上げて自分の世界の扉を開いて、外に向けて歌ってみよう。
子どもの頃は道端で大声で歌って、どんな場所でも私が歌えばそこがステージだった。誰も観てなくても誰も聴いてなくても喜んでずっと歌ってた。いつの間に隠していたそんな私ともう一度手を組もう。
そう思えた機会を与えてくださったサトコリン、高架57、出演者のunreasonableさん、ナカッジーさん、お客様、ありがとうございました。
最後にこの「沖縄DEナイト」に出演するにあたり、読み返した岩波ジュニア新書「沖縄のいまガイドブック」という本があります。照屋林賢さんと名嘉睦稔さんが対談で語っていた「沖縄ポップスと島唄」「伝統文化のリズム」の項から、胸に刻みたいと思った宝物みたいな言葉を抜粋して終わります。