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じゃあ、藤野ちゃんは何で描いてるの?

毎年夏休みに泊まりに来る甥っ子との夏の思い出に、映画「ルックバック」を観た。

漫画家:藤本タツキが、自分の中にある消化できなかったものを、無理矢理消化する為にできた作品と語る本作。XかInstagramに書かれていた誰かの感想を見て気になり、YouTubeの予告を確認して、甥っ子を連れて観に行こうと思った。甥っ子が遊びに来る時、私はよく映画を観に連れて行く。今まで「龍とそばかすの姫」「THE FIRST SLAM DUNK」を一緒に観に行き、そういう流れで観に行った。

見終わった後、余韻が凄すぎてすぐに動けなかった。予告を見て、「一緒に漫画描いていたふたりは別々の道を歩むんやろうな。そんな爽やかで熱い青春ものなんだろうな」と軽い気持ちで観に行った私は浅はかだった。帰りの電車にすぐ乗る事ができず、映画を観たビルのベンチでしばらく休んで甥っ子と映画の感想を話し、家に着いてからもずっとサントラを聴いて泣いてた。

この気持ちをどうしたらいいんだろう。
「あーっっっ!!!」ってただ叫びたい。
言葉にならない。
ネタバレはしたくないから詳しくは書きたくない。
だけど何かを書かずにはいられない。

藤野ちゃんと京本が描き続ける日々がしあわせであればあるほど胸が痛かった。悲しいという言葉では足りない。哀しいという字でもダメだ。気持ちを言葉にするのは難しいな。

部屋に閉じこもって不登校だった京本が思わず扉を開けて裸足で飛び出して、藤野が描いた漫画の素晴らしさ、どんなに藤野の漫画が好きで、どの話が好きかを目を輝かせながら伝えるシーン。

着実に人気漫画家になって、たくさんの人に読まれる作家になった藤野が思い出す京本の言葉。

「じゃあ、藤野ちゃんは何で描いてるの?」

その答えは言葉として語られない。
だけど感じるんだ。
あの日見た京本の嬉しそうな表情。
それが、きっと、描き続けることの原点なんじゃないかと。

どんなにワガママで自分勝手な人も、たぶん、自分の為だけでは動けない。忘れていたとしても、いつかの記憶、誰かが喜んだり、褒めてくれたことが原動力になっていたりするんじゃないかな。

誰かに出会い、今まで見えていなかった景色や色彩や感情に出会い、知らず知らずのうちに自分が知らなかった世界に運ばれていく。そんな出会いこそが、人して生まれて生きる意味なんじゃないかなと思った。

何で描き続けるのか。

それはきっとまだ出会い続けたいから。
あの日の京本の顔を忘れたくないから。
なんじゃないかと私は思った。



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