ミドルエイジ・クライシスがやってきた
最近、ネットの記事でミドルエイジ・クライシスという言葉を目にするようになった。
意味を知らなくても、大体の内容は想像ついてしまうほどのインパクトのある言葉だし、ポジティプな内容でないことも想像がつく。
そもそも言葉自体は、精神分析学者のエリオット・ジャックスが中年期特有の症状を研究し、1965年に発表した論文でMidlife Crisis(中年の危機)と名付けたことから始まったらしいので、「ミドルエイジ・クライシス」を目にするようになった、というよりは、以前からあった言葉に違和感がなくなってきた、といったほうが正しいと思う。
言い足すと僕は1965年生まれなので、ミドルエイジ・クライシスは僕と同い年。
まさに「ミドルエイジ・クライシス」は、僕と同じミドルエイジだ。
ミドルエイジの誤解
仕事も私生活も順調だと思っていた自分の人生。ところが中年に差し掛かるころ「本当にこのままでよいのだろうか」「悔いのない人生をおくれるのだろうか」と思い悩み始める。
あるいは環境変化や体調変化が時期的に重なって、それまで抑えてきた感情やストレスの蓄積が溢れてしまい、不安定な心理状態やうつとして現れて、辛くなる。
ミドルエイジ・クライシスは心理的葛藤を表す言葉だけれど、もう少し掘り下げておかないと、その状態や症状が理解されまいままで周囲にも誤解を与えるかもしれないし、余計に辛くなってしまうかもしれない。
そうならないためにも、まずはミドルエイジ「働き盛りが人生の最盛期(いつの時代の話?)」との認識を自他共に否定することから始める必要があると思る。
その上で、中年期は心身充実でもないんだよ、ミドルエイジ・クライシスと言われている行動だって、決してわがままを言っていることではないんだよ、周囲に伝えることが出来ると思っている。
もっともミドルエイジ・クライシスの言葉は、一般的になり社会問題として認知されるフレーズとなったおかげで、心理的葛藤の理解や説明も出来るようになったともあるけれど。
ミドルエイジ・クライシスが忍び寄る
この年代に差し掛かると、仕事や家庭、お金の問題などに一気に直面することになる。
社会との関わりに目を向けると、相応の立場の振る舞いを求められる。
将来に関しては、親の介護など未経験なことに向かう準備だって出てくる。
いままでは当事者として意識していなかったけれど、ミドルエイジ・クライシスは忙しい時期に一気にまとめて自分に降りかかることを思い知ることになった。
ミドルエイジ・クライシスは怖い
なんだか全てが当てはまる気がしてくる。
僕自身、心理的葛藤は、取り戻すことができない事にかたちを変えた。
ミドルエイジ・クライシス=心理的葛藤を軽くする準備
ミドルエイジ・クライシスは、中年「期」だけが元凶なのではなくて、自分と、その時期起こり得る出来事との距離感をコントロールできないと、いつしか気分や考え方が支配されてしまって怖い。
だからといってミドルエイジ・クライシス、心理的葛藤は誰にでもあり得るんだ、仕方がないんだ、と思い込みため息をつくのではなく、準備をすることでクライシスや心理的葛藤の受け止め方は違ってくると思う。
ミドルエイジ・クライシスを受け止めることとは、心構えの話ではなくて、準備なんだと思う。
謙虚に「聞く」こと
僕自身は、コントロール出来ないまま葛藤そして危機を迎えたけれど、今振り返ると、少しでも心を軽くするために出来たことがあったと思う。
それは、しぶしぶイヤイヤでも構わないから、誰かのアドバイスに謙虚に耳を傾ける、聞くことが出来る環境に飛び込むことだ。
簡単なようだけれども、聞くことって案外と難しい。
自分の気持が辛いときは、なおさら聞くこと億劫かもしれない。
ヘトヘトな気持ちは少しでもはやく決着をつけて気持ちを軽くしたくなるし、余計に焦ってします。そして勝手に一人で悩み過ぎてしまうことも多いと思う。
だからこそ、アドバイスに耳を傾ける「環境」が身近に設けられていることが大事だと思っている。
出来事との距離感を保つために、聞く環境に身を置くことは大事だと思っている。
もちろん環境に身を置くハードルは低いに越したことはない。
いまの流れで言えば、インターネットやSNS、動画などでミドルエイジ・クライシスを「知る」ことは出来て便利だけれども、その知識が自分に当てはまるとも限らない。
「あ、これこれ」と知識と自分の心理的葛藤とを無理やり?自分勝手に都合よく当てはめることは、あくまで僕の話だけれど、あまり良いことだとは思っていない。
知ること、それと同じくらい聞くことに力を入れる、聞く機会を持つことを大事にしたい。
僕は聞くことを避けてきたので、とても後悔している。
あったらいいな
今、僕は、ミドルエイジに関わらず、過去のつらい思いを経験した人たちと一緒に、何らかの「聞く機会」を創りたいと思い、取り組み初めている。
ネットなのかリアルな場所とするか、どんな形になえるかは考えている最中だけれど、僕らの辛かった過去の経験は、他の誰もが繰り返し経験する必要はないから、そのために少しでも役立つ環境を創ることができれば、きっと誰かの気持ちも楽になるかもしれないと感じている。
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