過去に経験した嫌な情景が何度もよみがえってしまう。気がつくと、もう関係しなくてもいい他人との不快なやり取りを頭のなかでやっている。それは「苦い」記憶だからそうなるのか? それとも苦楽に関係なくたんに「強い関わり」ゆえなのかどちらなんだろう? よく分からない。
わたしに見えている世界はとても狭い範囲に限られているのだし、周囲のひとはたいてい皆それぞれに優秀だと思っていたけれど、仕事先に配属されてきた年配者のH郎さんはわたしよりモノを知らないのでほんとうにびっくりした。自分から「あやつり人形」になりたがるひとを初めて見た。
嫌な情景について何か文章を書くような予感がしていたが、書かないまま数か月が経った。たまたま文体に関する本を開くと、語る主体を変えてみることが説かれていた。退職済みのH郎さん本人の視点で文章を作るとどうなるのか興味がわいてきた(そんなことが可能なんだろうか?、うらみ節にもせず、誰かを貶めることもなく?)。
書くことで嫌な情景を手放すこと/letting goになるかどうか? それも分からないまま、手放せても手放せなくても、ライティングの練習がてらに言葉をつなげてみようか、と
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これで全部だろうか? いや全部なはずはない。それに、いくら書いてみたところで外側から見えたそのひとでしかない。結局、そのひとのことは、ほんとうには誰も知りはしない。
それが謎であって、ずっと解かれることがない謎であるがゆえに、くり返し想起されてしまうのかもしれない。
ところで、こんなひとって実在していたんだろうか?(してたよ!)書いてみたら、な〜んかどっちでもよくなってきたかも。フフフ。さよなら、記憶のなかのひと。
<終>