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自己批判&反すうに、セルフ・コンパッションからの自己受容

自己意識を高めるの罠



最近、自分にやたらと厳しい。

自己意識を高めることこそ、これからの大切なメタスキルであると読んだ。そのためには、批判を含むいろいろなフィードバックを建設的に受け入れて変わることが大切だという。(例えばこの本⇩)

12ステップ(アディクションからの回復に用いるプログラム)でも、日々の棚卸しといって、自己中心的でないか、恐れていないか?配慮の欠如がないか?といった事柄について日々確認する。(ま、毎日は、やらないですけど・・)

瞑想では、思考や囚われに、気づいたら、手放す・・・がメインだが、どうも最近の傾向としては、「自己否定的な反すう」・・にハマりがちとの気づきがある(汗)そうすると、抑うつ的になる。というか、「アディクトあるあるな思考」である。これがつらいから、やわらげたくて、飲んだり、使ったり、食べたりする人は多いだろう。

「自分は、こういうところが本当にだめで、繰り返しちゃうなー。取り組んでも、なかなか、かわらないなー」「もともと、こういう傾向があるから・・もうだめだな。。。」みたいになる。でもなんかやっぱりこれも、セルフ・・へのとらわれな気もする。

「反すうは、意味がない。」「すべての思考は手放す。思考は思考でしかない」「自己受容するのだ。」それは、理屈では、わかっているけど、どうにも自己批判が止まらないのだ。

皆さんには、そんな体験ないだろうか?

自己批判はよくないらしい・・(汗)

コンパッション・フォーカスト・セラピーを生み出したポール・ギルバート(2009)によれば、自分自身を批判する時、私たちは身体の脅威・防御システム(爬虫類脳)にアクセスするという。このシステムは脅威を感知すると扁桃体を活性化し、コルチゾールとアドレナリンを放出して、闘争(fight)、逃走(flight)、凍結・凍りつき(freeze)の準備をするのだ。

このシステムは、身体に対する脅威から身を守るのには適しているのだが、現代の脅威とは、ほぼ自己概念(自分についてどう思うか)によるものである。そのため、私たちの脅威は、自分自身となり、自分を攻撃してしまうのである。この脅威への対応(自分への攻撃)は、ストレスの原因となり、不安やうつなどの症状につながるという。(MSCティーチャーガイド2021より)

マインドフル・セルフ・コンパッション講師として、この知識は繰り返し習うし、何ならつい最近も教えたばかりである。

我々人類は、生き延びるために、敵と、戦い、逃げ、弱肉強食を生き延びてきた。しかし、現代社会において、障害となるのは、敵や食事のありかではなくて「自己批判する自分」なのである。

だからこそ、セルフ・コンパッションを!というのが理屈なのだが、実践するのが難しい。

そもそも、アディクトってこういうの⇩がベースである。

なんというのか、基本的に自分のことなど信頼していないし、空虚だし、希望もないのである。酒を手放しても、回復しても、心の奥底にあるこの自己嫌悪と、自己不信感、また空虚感はなかなか根深いものがある。

回復して、「生きるって素晴らしい」「やっと自分を受け入れられた」となっても、時に失敗を犯すと、一周回ってやっぱり、自己嫌悪となりがちである。12ステップを作ったビルは、長年うつに苦しんだという。厳しく、自分の欠点ばかり見つめて、社会のために生きるを頑張りすぎては、人によっては、うつになってしまうのかもしれない。ビルに足りなかったのは、セルフ・コンパッションではないのか?と思っている。

自己受容に至るためのプロセス

結局、自分自身をありのままに認めることも必要なのだ。

セルフ・パッションのワーク

最近、マインドフル・セルフ・コンパッションのワークをみなさんと実践した。セルフ・コンパッションを使って動機づけを高める、心の中の自己批判と向き合い、コンパッションの声を見つけるというしんどめのエクササイズであった。

今回実践してみて、面白かったのが、自己批判の声が、夫の声であったことだ(爆)夫は理性的な人で、冷静で、切れ味鋭い(汗)そのため、ばっさり問題の核心をついて、切られたセリフを結構で脳内で反すうしていた。同じ様な間違いをしないための、「自己意識」を高めるには大変貴重な言葉だが、結構心理的にはきつかった様子。

理性的な理解に加え、無条件の肯定や受容が必要だったのだ。しかしまったく、足りていなかった(汗)英語でのガイドは聞いてコンパッション実践していたが、リアルタイムで瞑想をガイドしてもらい、皆さんとシェアすることで気づきが深まった。皆さんの気づきも、さまざまな知恵に溢れていた。温かさが広がる。

話を聞いて、気持ちを認めてもらうことの大切さ

別の機会に、自助グループのスポンサー(相談役)にも話を聞いてもらった。ああ、それが辛かったんだね。悲しかったんだね。と、慰めてもらった。

自分でセルフ・コンパッションをできるようになるのがいいのだろうが、本当に弱っている時、自分で反すうから抜け出せないときは、人に頼ることもやっぱり必要だ。瞑想や、自主練だけだとどうしても限界がある。

本当に困った時には、人とのアタッチメントを通して自分を慰める必要がある。そうすることで、自分自身がそのまま認められるのだ。なるべく人に迷惑をかけたくない。が、時には必要なのだ。

カール・ロジャースの有名な引用

結局のところ、理性的な自己認識だけだと自己批判強めになってしまうタイプの方は、意識的にセルフ・コンパッションを行うことや、人とのアタッチメントを介して自分の気持ちを調律してもらうことが重要だ。誰が言っていたのか忘れたが、タラ・ブラックだったか?「マインドフルネスと、コンパッションの両翼で自由に飛び立てる」と聞いたことがある。

これでも回復したので、ある程度までは、人に頼らず自己調整ができるようになった。でもやっぱり最後は人の助けが必要な場合もある。アタッチメントを通じての情動調律が・・・。だから、聞いてもらうことや、セルフコンパッションも一人でやるのではなく、安全な集団で行うなど、人との関わりがどうしても必要となる。そんなめんどくささが、人間には必要なのかもしれない。

人が必要なんて、めんどくさい。でもそのめんどくささも受け入れよう。人間とはめんどくさいものなのだ。

失敗しないようにと自分を高めようとする方向にかたよることなく、バランスよく、不完全な自分を受容し優しさを向けていくこと。本当にバランスが難しいし、気づくとどちらかに偏るし、転ぶし、つまづくし、失敗ばかりの人生だが楽しんで楽に生きられるようになりたいものだ。

一人で頑張ることが小学生の頃から好きだ。小2で水泳の1級に学年で1番最初になった。クロールで25メートルくらい息継ぎしないくらい頑張った。ぷるぷるした。でも、そんな頑張りは手放して、時には人に頼ったり、いろいろなやり方でリラックスすること、楽しむこと、自分に厳しくばかりしてなく優しさを見つけていくこと不完全な自分を受け入れること。を、適当にやるのだ。

いつも自己分析?すると、最後は「中道」「見分ける賢さ」「バランス」が大切!となるのだが、それがある意味真実なのかもしれない。








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