VOl.14「あの公園から見上げるソラと、介護士シドの日常」
#事実に基づいたフィクション
#東京の公園 #健康寿命 #公園の楽しみ方 #認知症 #介護の職場 #60代の生き方 #春うつ #やま #山下ユキヒサ
「あの公園から見上げるソラと、介護士シドの日常」VOl.14
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心に春が来た日は
赤いスイートピー
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松田聖子の8枚目のシングル。1982年1月リリースの「赤いスイートピー」。
作曲は、ペンネームでなら、と参加したユーミンこと松任谷由実。
この歌の大ヒットがきっかけとなりスイートピーの品種改良が始まった。
そしてついに〈赤いスイートピー〉は誕生した。
作詞家の松本隆は、そのことを後になって知った。
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さあ、春。
「春色の汽車」への乗車はとても魅惑的ですが、全てが楽しいばかりでもなさそうです。
春は進学、新学期、新生活の季節。
学生にも社会人にも新しい生活が待っています。
新しい環境に、新しい人間関係。
ドキドキの中にワクワクが。
ワクワクの中にドキドキが、あります。
そこに待ち受けているのはたくさんの「変化」。
その変化と向き合う、季節でもあります。
変化にうまく対応や順応できれば良いのですが、そうでない場合だってあります。
でも、大丈夫。
不安の中にこそ、私の明日が、将来が、未来が待っている。
そのように考えてみるのはどうでしょう。
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「春うつ」という言葉を知ったのは3年前の2月のことだ。
60代を迎えるにあたって、自分を心身共にリセットしたいと考えていた。
その時期あまり体調がすぐれなかったせいもある。
寝込むほどではないが、頭も身体も何かスッキリしない日々が続いていた。
思考力に何か薄い膜が巻かれたような、もう一つクリアに動かないもどかしさを抱えていた。
気分も何だか晴れ晴れとしない。そんな時だ、春うつという言葉を知ったのは。
ある日、そんなウツウツとした思考も気分も一緒に吹き飛ばしたいという願いも込めて、自身をアップデートしてやろうと思いついた。
それは待ち受けるこの60代を乗り切るためには、どうしても必要な儀式のように思えた。
60代をスタートさせるのにふさわしい季節にしたい。
そんな決意めいた思いに、気持ちが引っ張られたからかもしれない。
60代の途中で動きが鈍ったりフリーズして動けなくならないよう、生命バッテリーの異常消費などトラブルを起こさないように、そうだ、アップデートだ。
だんだんと気持ちが盛り上がっていた。
新年を迎え、1月、2月。知らぬ間に自分を追い込んでいたようだ。
本を読み込み、動画で学び、時間を惜しむようにして取り組んだ。
インプットしてアウトプットを繰り返す。
同時に身体も鍛え直そうと筋トレも始めていた。
自分を追い込むことをある英語表現では、
「push myself」というらしい。
僕はまるでラッシュアワーの満員電車の中に自身を押し込めるように、自分の背中をプッシュしていた。
自分で自分を追い込むことに、何か密かな喜びさえ感じていた。
しかし、気づかないまま、それは身体に大きな負担をかけていたらしい。
そんな日々の末路がとんでもないことを引き寄せた。
思いもよらなかった。
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ある夜勤明けに、急に体調を崩した。
記憶が曖昧になり、認知能力が低下した。
倒れて意識を失ったというのではない。ただ明け方5時ぐらいから9時過ぎまでの記憶がほぼなくなった。どのように仕事をこなしたのかわからない。
夜勤者はワンオペで、朝一番で出勤してくる〈早勤〉は、7時30分の始業だ。
とにかく1人しかいない夜勤の職員が、明け方に使いものにならなくなった。
結果的に私の不調によって事故は起こらなかった。利用者の安全・安心を守るべき介護士のSOS。後から考えても利用者に事故がなくて本当に幸いだった。
その朝は、非常勤の女性が早勤だったが、僕は彼女をホームに迎え入れることがしばらくできなかった。
ちゃんと立ち歩き、動きはしていたのにだ。
認知能力が急激に低下し、記憶力が断片的になった。
仲間の職員を職場に入れることが出来なかったのだ。そんな自分がもどかしかった。
ドア越しに「ごめんね、ごめんね」と謝っていたらしいが、あまり記憶にはない。
30分かけてやっとのことで、ベランダから入ってもらった。
もう何百回もしている玄関ドアの、その内鍵の開錠作業。
少し特殊なコマのような持ち手の鍵を、高い位置の鍵穴に差し込み、指先でくるっと回すだけの単純な動作なのに、出来なかった。
その後、職員を2人迎えたが、「何か変」「何か変」と僕はつぶやいていたそうだ。
だが記憶にない。
自分では次にしなくてはいけないことが気になってはいたが、身体が動かなかった。
何もしないでぼーっと、座ったままだったと、数日後自分に関わった職員から聴いた。
その時の自分の様子が、他者からの情報提供でしかわからない。意識が混濁し、記憶が曖昧になるということは、そういうことだ。
その後同僚の付き添いで近くのクリニックを受診。
問診から、長谷川式認知症スケール(認知症検査)が実施された。
検査後、驚くほど槇原敬之氏にそっくりなドクターは「一過性全健忘(いっかせいぜんけんぼう)」との見立て。
「失われた5時間の記憶はもう戻りません」と、まるで難病告知のように重々しく伝えられた。
(いや、別に構わないけど…)
ありがたいことに目の前で、すぐに総合病院に連絡してくれ、検査の手配をしてくれた。動きが速かった。
やるね、マッキー。
いくつかの幸いな、奇跡とも思える偶然が3つほど重なり、その後僕は法人の施設長の運転でスムーズに受診ができた。
奇跡の一つは法人本部(車で一時間の距離)の施設長が、会議でホームのすぐ近くに来ていたというのだ。
就業時刻も過ぎ、割合に落ち着いた。車中では施設長にジョークも飛ばすぐらいになっていた。
だが、あんなことがあった後だ、ジョークの裏では、少なからず不安を抱えていたように思う。
病院に着くと早速、脳のCT。
検査後は付き添ってくれた施設長と同僚と別れ、1人で自宅に帰った。
その夜、家族にもことの次第を伝え布団に入った。
寝る前、不安がなくなったわけではない。ひょっとすると、朝を迎えられなかったり、したりなんかして。
不安な気持ちをおどけた思いで紛らわせた。
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朝は、きた。
寝る前にセットしたアラームで起こされたから、睡眠もまあまあ取れたようだった。
検査に遅れないように総合病院へ向かう。
朝イチで脳のMRIと脳波の検査が予定されていた。
一人で電車とバスを乗り継ぎ、余裕の時刻に病院に着く。
この地域を代表するような大きな病院だ。
病院職員が出入りする裏口の通用門から入る。そのように前日に説明を受けていた。大きな建物の裏手にぐるっと回った。
通用門には警備員が立っていて、検査の予約表を提示すると、立ち入りを許される。
朝早くからの検査、人影もまばらだ。検査技師の案内で更衣室に。
狭い空間にありきたりの事務用ロッカーが置いてある。ロッカーは開閉がスムーズではなく、どこかに引っ掛かりがある。力を込めるとばうん、と跳ねるような音がした。
薄い検査着の頼りなさと、まだ肌寒い検査室の室温。
そのどれもこれもが温もりの抜け落ちたもののように感じられ、僕の心の不安は宙に浮いたまま漂っていた。
指示通り全ての検査をこなす。
待合室で結果が出るのを待った。やっと自分の名前が呼ばれた。
説明では、異常を示すような所見は見当たらないとのこと。
「特に異常はないですねぇ」ということだ。やはり一過性の全健忘らしい。
脳出血や梗塞などではないことを撮影写真を観て確認すると、安堵した。
2日間に渡る検査では異常はなかった。50才〜70才の年齢の中高年、しかも男性に多いらしい。
自宅に戻り落ち着いてからよく考えてみた。
アップデートの結末は、ある意味ドラマチックで大変だったけれど、思いがけず脳のMRI検査が出来た。
MRI検査は強力な磁石でできた筒の中に入り、磁気の力を利用して体の臓器を撮影する検査だ。
特に頭部の検査では、脳腫瘍(のうしゅよう)、脳梗塞(のうこうそく)、脳出血(のうしゅっけつ)などの病変の有無を調べることが可能だ。
脳出血や脳梗塞では、病変の有無、大きさだけでなく病気の発症時期を推測することもできるという。
結果に異常はなかった。そんな安堵が前向きな気持ちにつながっていた。
緊急受診という流れからの検査ではあったが、脳の健康状態を知ることが出来た。アップデートの結論としてはよかったのではないか。そう思えるようになった。
自宅に戻るとネットで検索した。いくつもいくつも情報をたぐり寄せるうちに見つけた記事。
その中に「海馬のショート」という一文を見つけた。
あっ、これだ。
一瞬にして腑に落ちた。
そうか記憶の門番である海馬がショートしたから、あんな症状が現れたのか。
もう、全てが理解・納得できた。
それから最近の生活を振り返り、ショートの原因を自分なりに考察してみた。
・気温の寒暖差に身体がついていけなかった。自律神経の乱れ(その時期、睡眠不足気味だったと思われる)つまり、春うつ。
・当日の夜勤の過ごし方(空き時間まで身体を休めることをせず、情報収集していた。例のアップデートの自己を追い込んでいた)
・番外編として、その日、赤いパンツを履いていた。(還暦祝いということで、前の部署の女性職員たちから贈られたものだ。半分シャレで)
それまでも何度かその赤パンを履いた。赤の魔力か、履くと変なテンションになることが時々あった。
だからこの夜勤の日にも、あえて赤パンが持つ魔力で乗り切ろうと臨んでいたのだが…。
しかし、あんなことが起こった以上もう怖くて履けなくなってしまった。
赤いパンツはあの後、
プレゼントしてくれた彼女たちに感謝し、すぐに捨てた。
色彩心理学では、色それぞれに意味と効果が決められているらしい。
春うつで弱った身体に赤いパンツの高揚感は、きっと刺激が強すぎたのかもしれない。
さて、海馬のショートから3年がすぎた。
お陰さまで、再ショートは起こってはいない。
現在の僕のパンツ事情は、紺色など青系が多いかもしれない。
今回のことは教訓的だった。
今後、自分で自分を追い詰めるようなことは、避けたい。
楽に、リラックスして、人生を楽しめばいい。その術を身につけることも大人の嗜み。
そして、大切なこと。
今後、間違っても赤いパンツの世界には、二度と足を踏み入れないぞ、と心に誓った。
そのへん僕はわきまえている。
もう、大人の男だ。
赤いパンツは、死ぬまではかない。
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