VOl.6「あの公園から見上げるソラと、介護士シドの日常」
#事実に基づいたフィクション
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「あの公園から見上げるソラと、介護士シドの日常」VOl.6
(1928文字・4.8枚)
🔷この話はシリーズものです。
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千切り、イチョウ切りの言葉は忘れても、説明するときっちり切れる。これは、手続き記憶※だ。
そして、プロの仕事をする。
認知症の方々も、いろんなことが出来るのだ。
食材の名称の記憶は怪しくなっても、佐竹さんはなぜ、野菜の切り方を忘れないのか?
この手続き記憶は「技の記憶」と呼ばれるように、体で覚えたもの。
記憶される場所は、脳のずっと奥にある「大脳基底核」(だいのうきていかく)と、後ろ側の下のほうについている「小脳」(しょうのう)という。
何年経っても忘れにくいのは、記憶のしまってある場所がちがうんだね。
繰り返し体で覚えたものは、脳の奥深くに記憶され、だから消えることなく、いつまでも私たちの脳に刻み込まれるようだ。
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夕食が終わった。
各自出来る方々は自分の食器を洗う。洗い終えた小島さんはしばらく夕刊を読んでいた。
いつもならこのあと、入浴タイムとなる。毎日一番最後に入るのが小島さん。
だが、最近変化が出てきた。
しばらく休んでるうちに夕食を食べたことを忘れてしまう。
小島さんが食べ終わっても、食事時間が長くかかる方がまだいる。
そんな人の食事風景が目に入ると、まだ自分は食べていない、と思ってしまうらしい。
「私ご飯食べてないんだけど」職員に訴えにくる。
もちろん、ちゃんと食べているのだ。
職員は控えめに、もう食べたことを伝えたりするが、いや、食べてない。と、強く出ることが最近多くなった。
まあ、食べ物の恨みは恐ろしいからこちらも強硬には言えない。
まあ、それは半分冗談。
相手の自尊心を傷つけないような対応をしたい。いや、食べましたよ、とこちらが強く出るなら、食べさせてもらえなかった。
という嫌な感情が残ってしまう。
「自分は食べていない」という気持ちが今の小島さんの状態。小島さんにとってはそれが事実なのだ。今の気持ちに寄り添うのが、素敵な介護士さん、プロだ。
感情を伴う事柄は記憶に残りやすい。特に嫌なことは、その内容は忘れてしまっても、不快な印象は後々まで残る。
すると職員に対して「私を不快にする人」という印象が強くなり、信頼感は薄れていく。
「小島さん、お風呂入りませんか?」
「小島さんちょっと手伝ってくれませんか?」
だから、何か別のことに気を逸らせてもらえればとの一縷の望みで声掛けをする。
そして動いてるうちに、食べてない訴えを忘れる。それが作戦だ。もちろん目的は、小島さんの健康のため。
そんな作戦が通じる時も通じない時もある。
私が直近3回の夜勤の時の勝敗は、一勝ニ敗。
仕方なくご飯を軽めに盛る。
「少ないわねー」やっぱり言われた。
だって、さっきもう食べたからね。そんな言葉をぐっと飲み込む。(まあ、ちょっとしたお菓子や菓子パンで済むこともある)
少し食べれば落ち着くのだ。
2回目の夕食?
食べ終えた小島さんは、やっと風呂に入った。
この間なんか、3回目を食べようとして私たちを慌てさせた。
こんなことが最近増えた。だから、ちょっと太り気味。
エプロンのボタンもね、こういうこと。こんな日常生活の様子から、認知症の進行度合いを心配している介護士たちである。
「じゃ、おやすみなさい」
「じゃ、おやすみなさい」
「じゃ、おやすみなさい」
もう何回目?
始まったら、「正」の字を書いて回数をかぞえる。
シドの夜勤。22時の悪夢。僕はこれが苦手。
寝る前、テレビを観るのが小島さんの日課。それからこの時刻が平均的な消灯時刻。
歯を磨き、個室から出て、トイレへ行く。そして居室に戻る際には必ず職員に挨拶される。これが一連の寝る前の儀式。
歯を磨いたことを忘れ、トイレに行ったことを忘れ、職員に寝る前の挨拶をしたことを忘れる。
これが複数回の日も、一回で終わる日もある。
私の夜勤では最高頻度は、30分で8儀式。それは「じゃ、おやすみなさい」を8回聞くってこと。
そんなんじゃ、トイレに行っても出ないでしょうね。
他の職員の中には、もっと多くの回数を経験しているメンバーもいる。
この儀式は、個室が暗くなることで終わりを告げる。
部屋の電気が消されると、僕はかなりほっとする。
認知症は罪な奴である。
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VOl.7につづく
ではまた。