3日断食。9食を抜いた後の食事。前編
20代のとき、あるきっかけで「断食」をした。
3日断食。
3日間、朝、昼、夕と9食を絶った。3日目の夜遅く断食明けの食事を摂った。
例えばそれは断食道場など、専門施設での本格的なものではなかったが、
かと言って闇雲にでもなく、経験者からの指導とサポートの元に行った。
水分補給はきちんとした。
そして、通常の日常生活を送った。
*
断食明けの食事。
メニューは重湯。伝統的な流動食で、お粥の上澄み液に水分を加え煮たもの。
それに卵豆腐や一かけらの梅干しなどだった。
超薄味の、消化に負担の無いものを、ほんの少量。
そんな固形物のない食事だったが、食べながら感動していた。
全身で味わっているような感覚になった。食べる行為に全神経が集中していた。
口に入れ味わいゆっくり飲み込むと、内臓に染み込んでいくのがわかった。その流れを身体で感じながら感動していた。
それから一口一口がたまらなく愛おしいという思いで溢れた。
今まで食物に対してなど感じたことのない「愛おしい」という思いが湧き上がり、全身を包んだ。
食べるという行為の中で、不思議なことにボクは愛を感じていた。愛が身体に入ってきた。
同時に今まで自分はいかに無造作に食事を摂ってきたのかと、思わされた。
何も考えず、TVを見ながら、ろくに咀嚼もせずに、飲み込んできた。
ただただ空腹を満たすための行為。空腹でないときだって時間だからと、食べていた。
味わうということを、いかにおろそかにしていたか。そう思わされ、反省した。
その時の感覚の記憶は今でも生きていて、時々ひょいと思い出すことがある。
美味しいものを食べるという行為を愉しみ、丁寧に食べる。
食べる行為は、ボクが生きている証だ。
だからどんな食べ方をしているのかは、ボクがどんな生き方をしているのかに通じている。
それはいかに高価な食材を使っているか、という食事の話ではない。
もっと本質的な、人間の3大欲求としての、食欲の満たし方、食べ方だ。
食べ過ぎは、お腹が空いているとき以上に苦しいものだ。
いつもそう出来ているわけではない。ただ、そう願っている。
そう出来ていないことが続くと、
ボクの記憶装置が自然に起動し、あの断食明けの食事を思い出させるのかもしれない。
*
これを
書きながらふと思い出した。昔読んだ本。彼の著書をしばらく続けて読んでいた時期があった。ハマっていた時期。
辺見庸(へんみ・よう)の『もの食う人びと』(角川文庫)
これも一品だった。
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