VOl.3「あの公園から見上げるソラと、介護士シドの日常」
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「あの公園から見上げるソラと、介護士シドの日常」VOl.3
(1627文字・4枚)
※この話はシリーズものです。
「恋するきっかけ」
*
きっかけは10月の、ある日のことだった。
その日も、夜勤明け。
公園の前を素通りできず自転車を降りた。
気持ちのいい秋晴れに誘われたのかもしれない。
池の前のベンチに腰を下ろす。
ふと横を見ると、七十代半ばぐらいの女性が、足元に目を凝らしている。
ああ。
そうか。
イチョウの実を集めていたのだ。
明るい織りのセーターに、軽めの上着を羽織り、暖かそうな厚手のスカートにサンダル履き。
きっと近所の方なのだろう。
ほんのさっき思い付いて、散歩がてら玄関を出た。
そんな感じだった。
ベンチの後方には大きなイチョウの木が黄葉に変化し、その足元にも黄色い落ち葉の絨毯が広がっている。
女性はその絨毯の上を、そろりそろりと、同色の実を注意深くさがしている。
スーパーに行き、数百円も出せばきれいな銀杏が手に入る。
しかし、こうして探し、見つけ、拾い集めるという行為を楽しんでいるようだ。
これも公園の楽しみ方。
公園にはいろんなものが落ちている。
集めた実を一手間もふた手間もかけた作業の後、やっと口に出来る。
昔の人たちはこうしたことが生活の一部だった。
季節を愉しみながら、手間を手間と思わない暮らしを営んでいた。
声をかけはしなかった。
でももし、「取れましたか?」と僕が笑顔で尋ねれば、きっと左手に持ったビニール袋を掲げ見せ、微笑み返してくれるに違いない。
「取れたわよ」と。
そんなやり取りを期待させてくれるような明るい感じの、飾らない雰囲気を持った人だった。
私の目の前を二人の女性が横切った。
八十代半ばで小柄の女性が、脇を支えられながら歩いている。
支えているのは六十代の女性。二人の会話がはっきりと聞こえた。
身体を支えられた女性は、その弱々しい足取りとは違って、意外にもその声は大きく張りがあった。
「〇〇先生はね、拾ったイチョウの実を庭に埋めておくんだって。そうすると自然に実が腐ってね、しばらくしてから掘り起こすんだって。だって、あれは匂いがねー」
銀杏拾いの女性の側を通り、その姿を目にしたから、そんなことを思い出し、口にしたのだろう。
急な風に木の葉が舞った。
*
少し身体が冷えた僕は、立ち上がり
歩き出す。
すると、僕の脇を七十代と思しき男性がサッと走りすぎた。
(いやー素晴らしい。がんばってますね)
心の中で、離れていくその背中に声をかけた。
それから何人かの高齢者がそれぞれのペースで歩いたり、走っている姿が目に付いた。
そんな姿に刺激を受けたからだろう。
そう言えば俺、最近運動していない。
そんな軽い気持ちだった。
ちょっと走ってみるか。
とはいえ夜勤明けの身体だし、軽くね、軽く。と自らに念を押しながら、肘を直角に曲げ、さあ、と足を踏み出した。
その直後だった。
動き出してすぐにわかったことは、動けない、ということだった。
まるで見えない誰かに取り押さえられているように身体が重い。
足が重い。
腰が重い。
腕が重い。
首が、頭が。
もう身体中が重かった。
それでも見えない力に抗いながら、前に進もうとする。
何だ、これ。
衝撃を受け、愕然とした。
走っているつもりでも、周りから見れば歩いているも同然のスピードだっただろう。
重い身体を表現するとき、よく鉛のような○○が登場する。
実際に鉛に触れたのは、小学生の高学年の頃。
海釣りで使った、あの頃の小さな手の平に、ずしんと重さを感じる鉛の塊。
あの釣りの仕掛けに使った「鉛」がふと頭に浮かんだ。
あの「おもり」が身体中に、しかも身体の内側の筋肉に溶け込んでいるかのようだった。
10メートルも行かず、僕は足を止めた。
いや、止まってしまったのだ。
10メートル?
いや、その半分だったかもしれない。
*
VOl.4につづく
ではまた。