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vol.1『あの公園から見上げるソラと、介護士シドの日常』

#事実に基づいたフィクション  
#東京の公園 #健康寿命 #公園の楽しみ方 #認知症 #介護の職場
#60代の生き方 #やま #山下ユキヒサ

『あの公園から見上げるソラと、介護士シドの日常』 VOl.1

(4151文字・10枚)

【はじめに】

穏やかな秋晴れだ。
ささやかな紅葉は、ここにも、ある。
木々の葉が紅く色づく。
イチョウの緑が黄葉に移り変わる。
そのグラデーションが実に見事で美しい。



ここは東京都内にあるちいさな小さな公園。
園内をゆっくり周っても10分かからない。
最寄駅からはバカみたいに遠い。
バス停からも5分ほど歩く。駐車場などはない。駐輪場が数ヶ所あるだけだ。

静かな住宅街に突然ぽっかりという感じで小さな森が出現する。
昭和38年に開園された○○区立の公園。
人間で言えばあと一年と少しで還暦を迎える、アラカン公園。

開園時に植えられた樹々も、昭和、平成、令和と、その月日の流れとともに年輪を重ねてきた。
この小さな森の「こんもり度」も年々少しづつ増し加わってきたにちがいない。

近隣の人々にとって、きっとこの公園はとても居心地のいい場所なのだろう。近隣住民ではないが、最近仲間入りさせてもらった僕は、そう思っている。自宅のすぐ側にこんな公園があれば嬉しい。

何よりここでは、子供たちが夢中になって遊び、大人たちもまたくつろぎ愉しんでいるように見える。
そしてこの僕だって、この場所で過ごす時間を、だんだん心地よく感じ始めている。

休日ともなれば、ここは幼児から高齢者まで幅広い年齢層でにぎわいを見せる。
平日の朝には、近くの複数の保育園や幼稚園から、保育士に連れられた幼児たちがこの場所をかわいく彩る。
子供たちは赤、青、黄色、オレンジ、緑、ピンク、薄紫など色とりどりの帽子をかぶってちょこまかと動き回っている。

先日、妊婦さんも見かけた。
お母さんと共にお腹の小さな命も、穏やかな空気と柔らかい光の中にいた。
その女性は元気に遊んでいる幼児たちの姿に、我が子の無事の出産を重ね合わせていたに違いない。

女性が手のひらでお腹をさするたび、穏やかな波動はきっとお腹の羊水に優しく伝わっているだろう。

ある大学病院の産婦人科医師はこんなことを書いている。羊水とは一言で言えば「赤ちゃんを守り育てる海です」と。

その言葉を借りるなら、この小さな公園は人々の暮らしと生活に張りを与え、人々を守り育てる〈特別な場所〉なのかもしれない。



12月に入った。
ある日の午前11時。
穏やかに晴れた休日だ。

走り回る子供たちのはしゃぐ声が聞こえる。ブランコで遊ぶ女の子。かくれんぼをしている子供たち。

「もーいいかい」
「まーだだよ」

木陰からそんな声が聞こえてきた。

もっと小さな幼児たちのエリアでは親に見守られながら砂場や幼児用の遊具で遊んでいる。

広場では若いパパと息子がサッカーに興じる。
広場と言っても、バスケットコート1面を一回り広げたぐらい。

若い母親が小学生の息子になわ跳びを教えている。
見渡せば親子連れ、高齢者、赤ちゃんを前抱した新米パパ。

広場の脇では高齢者の皆さんが中心となり「ペタンク」に興じている。
調べてみると、どうやら発祥国フランスで愛されている競技らしい。「会員募集」という年季の入った案内の幕が見える。

園内・外をジョギングする若者や中高年。それぞれの体力に合わせて、それぞれの楽しみ方でこの公園を味わっている。
やはりここは、利用する多くの人たちにとって〈特別な場所〉に違いない。

園内には小さな公園にお似合いの小さな池がある。
この存在が公園の魅力を引き立て、潤いあるアクセントになっている。
池の前のベンチの一つに腰を下ろした。

足元には大小様々な古いレンガが埋め込まれていて、なかなかお洒落だ。

やれやれ。
ほんの10分ほど前まで職場にいた。ベンチの背にもたれかかると、腰がどんより重い。
二日分の仕事の疲れが、身体の真ん中で、澱のように溜まっている。

ふと、顔を、上げる。
木々の背後に広がる空が青い。
澄んだ透明感のある青と紅葉のコントラストがとても美しい。

どこまでも続く青い空を眺めていると、徹夜で疲れた目がだんだんと潤っていくようだ。

緊張と隣り合わせで過ごしながら17時間働いた。

そう、休日の11時というのんびりした時間帯に公園のベンチに座っている僕は、夜勤明けだ。

僕は認知症高齢者の介護を仕事にしている介護士。名前はシドという。

施設には9名の入居者がいる。その職員として認知症高齢者の生活介護・支援をするのが仕事だ。介護業界ではグループホームという区分になる。

仕事終わりの公園。
池では鯉が泳ぎ、水面ではカルガモが遊ぶ。ちょっとした癒しのスポットだ。

緊張と弛緩。
オンからオフへの切り替えには絶好の場所だと思う。

自宅から職場の途中に位置するこの公園。
雨でもない限り日常の通勤時間は、電動自転車で約30分。
公園まで来てしまえば、職場まではもう目と鼻の先。

昨日はナイトシフト、夜勤入りだった。夜勤は16時半から始まり、翌朝の9時半が勤務終了となる。休憩はもちろんあるが連続17時間の拘束。

9時から18時までの勤務の日勤者が帰り、21時には最後に残った遅勤の職員が仕事を終える。

その後はワンオペで一晩を過ごし、朝を迎える。
朝一番で来る職員は早勤で7時30分からの勤務だ。

つまり21時から7時30分まではひとりでホームの高齢者を守り、生活支援を行う。

タイトルに「ソラ、シド」という音階を含ませたのには深い意味はない。
ただ、人にはそれぞれが抱えた心の空がある。それが天気のように晴れたり、曇ったり、時には雨模様に。

かと思えば晴れのち曇りだったり、曇りのち晴れもある。一日の中でも変化する。

そんな心の空が、上空のソラの広がりを求め、外へと誘い出すのかもしれない。
そんな妄想が発端だった。

「介護士シド」としたのも思いつき。ソラとくればシドと続くのは合言葉のように必然。

介護の現場で考えてきたことを書いてみたいという思いは以前からあった。

試しに「介護士」と「シド」をつなげてみた。
すると「介護士シド」とはなんだかとても語呂がよく、気に入った。

ただ一つ問題があって、私は国家資格である「介護福祉士」を持つ介護士だが、シドではない。

私の両親は日本人だし、名前は宍戸(ししど)ではないし他にシドを連想させるような名前でもない。

何か面白いエピソードがきっかけとなって、職場ではシドという呼び名で通っている、ということでもない。

だから「シド」にそれらしい理由を求めてあれこれ考えていると、
「死」と「土」が不意に浮かんだ。

人は死んで土に還る。
人生の総括を彷彿とさせるようなシドに納得の理由を得た。

60代に突入して約3年が過ぎようとしている。
自分に残された持ち時間があとどのくらいあるのかは分からないが、死んで土に還るまで、自分の命を大切に生かしていきたいと思う。

「やり切った、よく生きた、ありがとう」と、ちょっと無理矢理にでも笑顔を浮かべ、感謝しながら死にたい。
そう考えるなら、シドも悪くない。

もう一つ、突拍子もない呼び名を自分に認識させ、自己の客体化から客観性を生み出す。

その客観性を使って書き進められるのなら、シドも面白いんじゃないか?
かなり気恥ずかしいのは確かだけれど。

だが、そんな恥ずかしさなど、捨ててしまおう。
そもそも行動を制限する大きな理由に「恥をかきたくない」という人間の心理がある。

誰の迷惑にもならないのなら、恥ずかしさに耐性をつけて、自分のやりたいことをするだけだ。

人の目を気にせず、羞恥心を捨て自分が楽しいと思えることをする。それが、自己の幸せ度アップの推進力となる。

だから使うよ、うん、介護士シド。

自分だけど自分ではないような自分。
自分しか使わない一人称。
「介護士シド」は、認知症介護の職場、その話題を語る場面では大いに登場させよう。

それから、自分の身近にあるものについて綴っていきたいと思う。

身近なものとは、
ベースになる63歳という僕の年齢と60代という年代の過ごし方だ。

老いは誰にもやってくる。人は1年に一度は確実に歳を取るのだ。

この63歳という現在地からの60代。
さあ、これから、どうしてくれよう。

そして2つの「場所」をベースにして綴っていきたい。

その1つが公園。
4、5ヶ月前から公園を利用しているうちに、この公園のことが何だかとても気になってきた。

ひょっとすると、これは恋なのかもしれない。

気になる思いがつのるうち、この公園について書いてみたい、と思うようになった。

するとこれからの話は、この公園に対するラブレターだと、言えなくもない、かも。

2つ目は、シドの職場である認知症高齢者の介護の世界。

介護業界で働く人々の現場。職場でのあれこれや、職業人として学んだこと気付いたことなど書き記したい。

ただ内容はごくごく身近なこと。「介護士シドの日常」と記した通りだ。

41歳で転職。
無謀にも高齢者介護の世界に飛び込んだ。
そこから二十数年の経験談も滲ませながら、散りばめながら書いていきたい。

長くなった。
最後に大切なこと。
書き進めていくことでホームの利用者と公園の利用者、職場の同僚、友人、知人の迷惑にならないようにと願う。

個人情報保護や守秘義務がある。
僕の表現活動で、個人が特定されたり、その個人や団体が不利益を被らないようにしたい。

だから、僕が現在在籍する社会福祉法人や事業所の名称は明かさない。
この公園の所在地も、ひ、み、つ。

そのため全て事実に基づくものだが、僕が関わる全ての団体・個人に不利益が生じないように配慮して書き進めていくつもりだ。

そのことをご了解の上で、この先も楽しんでいただければ幸いである。

60代に突入した現役介護士シドが、お気に入りの公園で出会う人々や職場である介護現場でのこんなことあんなこと、僕の日常も合わせて記していきたい。

期間は一年間。
秋から始まり、秋に終わる。
また、もう一度、紅葉の季節を迎えるまで。

イチョウの緑が鮮やかな黄葉に変わる季節まで、弱っちい走力でも、なんとか走り切りたい。

寒さで凍える冬から、桜色の春を迎え、きびしい日差しの夏に汗をかき、きっと約束の秋のゴールを目指して。

ではまた。
VOl.2へ
           (つづく)

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やま
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