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【無料】ハマチ養殖先駆者の自伝『海を拓く安戸池』(序)~野網和三郎著~

 ブリ養殖の始まりは今から90年以上前にさかのぼり、日本の海面での魚類養殖の中で最も古いとされています。その発祥は1928(昭和3)年に香川県引田町(現東かがわ市)の安戸池で事業化が始まったハマチ養殖です。野網和三郎氏(1908~1969年)という水産人が挑戦し、試行錯誤の末に事業として成功しました。 

 日刊水産専門紙「みなと新聞」を刊行するみなと新聞社(現みなと山口合同新聞社)は1969(昭和44)年、「養魚秘録 海を拓く安戸池」(野網和三郎著)を刊行しました。野網氏自らにより、幼少期や水産学校時代の思い出、海面養殖に挑戦し、事業化に成功するまでの道のりなどが克明に記されています。 

 1939(昭和14)年、ラジオの産業講座で全国の視聴者に向かって「日本における沿岸漁業は、必ず近き将来において好むと好まざるにかかわらず、獲る漁業から、つくる漁業へ移行していかなければならなくなるだろう」というメッセージを発したという野網氏の先見性には、いまさらながら驚かされます。 

 今でこそ国を挙げて振興に取り組む海面魚類養殖ですが、本書を読むと、数えきれないほどの困難が野網氏に襲いかかり、それをひとつひとつ乗り越えながら、信じる道を一歩ずつ歩んでいった開拓者の姿が浮かび上がります。困難の中でも志を失わず、リスクを取って投資等の決断を行い、キーパーソンとの折衝に奔走する姿からは、氏が優れたビジネス人であったことも伝わります。 

 本書が、日本魚類養殖史の記録として、沿岸漁業や水産業の振興を考える際の参考書として、はたまたビジネス書として、今日的な意義を失っていないという思いから、ここにnoteで提供させていただくことにしました。

  第1章、第2章、第7章、第15章、第27章は無料とさせていただきます。一人でも多くの方にお読みいただければ幸いです。


〈注意事項〉
・文章、写真の説明文(キャプション)などは明らかな誤字脱字を除き、原文の通りとしております。ただし、著者略歴については、西暦を加筆、死去された年に関する記述を追加しました。
・敬称は原文に即して省略させていただきました。
・現在では差別的表現として、みなと新聞で使用していない表現についても、原文の表記をそのまま記載しております。あらかじめご了承ください。
・本書原本の貸与や販売は在庫がないため行っておりません。ご了承ください。

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著者の言葉(「あとがき」より)

  今を去る三十年前、昭和十四年十二月十四日、全国放送の産業講座で「かん水養殖事業の将来」という題名で、ラジオ放送した話のなかで、「日本における沿岸漁業は、必ず近き将来において好むと好まざるにかかわらず、獲る漁業から、つくる漁業へ移行して行かなければならなくなるだろう」と放言したのであるが、私の取っ組んでいる安戸池養魚事業を通じて、言い得た私なりの見方、考え方であったのであるが、ここにその沿岸漁業の実態を見つめるにあたり、今更ながらその当時の自分を呼びおこしてまことに感慨深いものを覚え、再度この言葉の芯をかみしめてみるのである。

  安戸池養魚史については、久しきにわたり各方面からの要請もあり、時を経て明治百年という、国民等しく心に銘記すべき記念の年にも直面し、知名人からなる切なる奨めも重なって筆をとることにした。その内容としては、この道四十年来の過ぎ越しきたった足どりを、幅広くあらゆる角度よりたぐりよせて、その俎上にのぼるもろもろの事象を捉えつつ、そこはかとなく書き綴ってみることにした。

  拙著がこの道のために、あるいはまた関心を持たれる諸賢のために、わずかながらでもよい、そのしるべともなり、よすがともなるならば幸せである。

明治百一年二月十日
安戸池湖畔にて 野網和三郎

著者略歴

明治41(1908)年3月11日生れ。三重県立志摩水産学校4年終了。島根県立水産学校卒業。 昭和17(1942)年から21(1946)年まで引田町議会議員。昭和21(1946)年から38(1963)年まで引田漁業会協同組合長をはじめ香川県かん水養魚協会長・香川県各水産団体役員・香川県水産資材協会会長・日本かん水養魚協会々長等を経て現在、日本水産資源保護協会コンサルタント・瀬戸内海連合海区漁業調整委員・香川県水産業基本対策審議会委員・香川海区漁業調整委員・高松地方裁判所司法調停委員。
昭和36年園遊会に招かれ皇居参内。
香川県水産団体表彰・香川県知事文化賞受賞・高知新聞四国文化賞受賞・大日本水産会39年度功労者表彰。
昭和44(1969)年死去。

脈うつ開拓精神
水産庁長官 森本修

 戦後沿岸漁業が直面した漁場の荒廃と資源枯渇による衰退は、まことに深刻な問題であったが、古くからの獲る漁業をつくる漁業に転換することで、ようやく将来に曙光を見出すところまで立ち直った。この〝つくる漁業〟をまず手がけ、技術的に大成されたのが香川県安戸池の野網和三郎氏である。

 昭和の初期、徳島県境に近い香川県引田町のかん水湖「安戸池」を舞台に、はじめて海水魚の養殖が着手され、戦前に早くも企業として成立、戦後沿岸漁業の衰退が顕著になるにつれその打開策としていちやく脚光を集めたのである。行政面でも、沿岸漁業とつくる漁業は切り離して考えられないほど密接なものとなっている。 

 沿岸漁業にとって最大の功労者である野網和三郎氏は、三十六年ハマチ養殖業者が集まって日本かん水養魚協会を設立するに当り、初代会長に選ばれたが、その後第一線を退かれ、後進の指導に当っておられるときく。そして一年の歳月を費してまとめられた、養殖に捧げた半生の記録が、「海を拓く安戸池」と題して今般〝みなと新聞社〟から発刊されることになったのは、まことに意義深いものがあると心から喜びにたえない。昨年来明治百年にちなんだいろいろな催しが行なわれているが、水産業界百年の記念碑としてもふさわしい企画だと思う。 

 野網氏の産んだかん水整殖事業は、いまハマチ養殖事業としてみごと開花しているが、最近ではややつくりすぎの感がないでもない。こうした業界のあり方に対しても野網氏は「まず魚を愛せよ」と強く説いている。魚を愛せば無計画な養殖生産、稚魚の乱獲、漁家経営の不安定化といった問題もなくなり、丹精してつくり出された魚の一尾一尾が価値ある存在となるだろう。 

 願わくば、「海を拓く安戸池」を通じて、先人の大きな偉業、そしてその裏に秘められた脈々たる開拓精神、一念岩をも通す意志と努力を、現在の漁業者はぜひ汲みとっていただきたいものである。また水産を志す人々たちにとっても、水産業はいかにあるべきかのよき指針となるにちがいない。 

 そして将来、さらに第二、第三の野網和三郎氏が出現し、水産王国日本の名にふさわしい魚づくりが進む日を、心から望むものである。

養殖漁業の先駆者
香川県知事 金子正則

 四十年余の長きにわたり、かん水魚類養殖漁業の先駆者として尽瘁し、特にハマチ養魚については全く一生を捧げた野網和三郎氏がこのたび養魚秘録として「海を拓く安戸池」を刊行されるにいたったことは、単に本県水産業界のみならず、全国沿岸漁業の振興上実に意義深く、その刊行に対し心から祝意を表する次第であります。 

 顧みるに、安戸池のほとり、漁家に生れた野網氏は、若くして三重、島根両県の水産学校に学び、真珠王御木本氏の感化を受け、卒業後はいたく内海漁業行き詰りの状況を察知し、その打開策はかん水養殖にありと断じ、大川郡引田町安戸の入江に着目してその養殖事業化を企図し、昭和二年以来旺盛な開拓者精神をもって未知の分野に挑み、イナ、セイ、タイ、ハマチなどについて試験養殖に精魂をかたむけ、長年にわたり多くの私財を投じ、遂にハマチ養殖の事業化に成功し、今日のごとき全国的な養殖漁業全盛時代の到来に貢献するにいたったものであります。 

 今回野網氏が「海を拓く安戸池」を上梓するにあたり、今更ながら同氏の日ごろの熱意と労苦に対し深く敬意を表するとともに、本書が今後浅海養殖先進県香川の発展と広く水産業界の振興に大きく裨益せられんことを信じ、刊行に寄せる言葉といたします。


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