養魚秘録『海を拓く安戸池』(39)~増殖日本の将来に思う~
野網 和三郎 著
(39)~増殖日本の将来に思う~
志摩水産学校時代の少年の夢が、安戸池かん水養殖事業となり、そして四十有余年にわたる、苦闘の星霜が、直接行きづまった沿岸漁業構造改善事業の柱となって、日本かん水増殖の歴史につながり、そして明治百年の今日、四十三年十月二十三日、安戸池物語の終稿を目前にひかえ、ある感慨深いものを覚えながら、もう一度過去をふり返えり、かつての少年の夢と希望を、再び高い次元の素晴らしい増殖事業の世界に結び継ぎ合わせ考えてみたいのである。
「稚魚を愛せよ大漁が続く、浜に黄金の花が咲く」と、こうした立派な標語の、そしてその言葉の持つ本当の意義が決して空文句ではなかったことが解明できたように思われ、大正十年学校に入学した当時の印象として一番焼きついた標語ではあったが、その後これらに類する魚族資源培養に関するかけ声は、年次行事のようにながく繰り返えされて来たが、いま、ようやく永年提唱し続けてきた栽培漁業実践活動センターの実現を見ることによって、それがかけ声だけではなくこれら機関の手によって、努力研究の末、つくり育てあげられた稚魚が、本当に海に放流されるようになってきたのである。
御木本翁が、うどん屋の小僧で、天然真珠の原理を究明し、真円の真珠がどの貝に生み出せるようにとそれ一すじに寝食を忘れて没頭し続け、それが事業として、立派に成功するまでには、四十幾年というながい歳月を要したのである、この一つの事業をもってしても、新らしい道というものは、並大抵の努力や辛抱では切り開いてゆけるのではないということで、翁はよく、学者研究家をつかまえては、お前達も真珠の研究をしてみよ!とハッパをかけてもいたが、当時のこととて遂に誰もが真珠をつくり出すことができなかった。また後年になって御木本の真珠技術が流出するようになっても、決して翁はパテントをとろうとはしなかったが、ここが偉人といわれるゆえんであると思う。
将来における増殖事業面での研究範囲は、極めて広汎で、しかも手遅れとなっている究明部門は山積しているのであるが、如何なる研究家によっても、そのもたらされた成果については、かつての車エビのような姑息なパテント獲得などの轍を是非踏まないようにしてもらいたいものである。
農業のここ二、三十年来の歴史をみても、品種の改良増産といった成果には、目を見はるものがあるが、これらの成功の道すがらには、いずれも涙ぐましい努力と、語り草があるのみで、ケチな特許などといった不届者は一人もいない。こと原始産業に携わる者の常として、一つの研究成果というものは、あまねく農漁民に対して大乗的に生かされてこそ意義があり、自分個人の利得や、小乗的なものであってはならないことを、歴史は教えている。養魚の手さぐり時代において、犠牲となった雑魚、タイ、日射病で死なせたハマチの夢は今でも見る。
養魚の霊を仏壇にお祀りして、香を焚き数珠の手を合わせるのも、魚とわれわれ人間との、過去からもつながる、因縁約束があったからこそで、朝夕それをかかさないのも、養魚の道に携わるものの、ひとしくもち合わさるべき、精神的ないましめとして悟りたい。それはこれらの犠牲となった魚によって教えられ、次の道が開かれていったのであり、また養魚という事業によってわれわれの生計が営まれていることも、恩を受けている証拠である。
やはりこれらの魚は、現在はもちろん、将来も栄えるであろう増殖日本と孤立無縁のものであるとは、誰がそれを断言できるかということで、原始産業は他の産業部門とは異なり、大自然の包蔵する、絶対的な摂理によって、生れ成り育つもので、かりそめにも人間の力でなどといった、よこしまな言辞は絶対にゆるさるべきではなく、要はこの大自然の偉大なる理法がいち早く究明されてこそ、沿岸魚族と名のつくものの殆んどに近いものは、人間の科学文明という努力勉強のかたまりが、理法という絶対値の上にマッチ、大きくプラスされて、はじめて思うように、魚族もつくり育て上げることができるのであると思う。
農業も水産も等しく、自然が生み出すもので原始産業といわれるゆえんもここにあって、この自然の包蔵する諸条件の中から、何一つのものを割愛してもその生産は成立つものではなく、また、われわれ人間にしても、等しくその生存さえも、ゆるされるはずはなく、科学万能の旗印で、しかも自然の理法を過小評価するようなことでは、この道の宝の扉は決して開かれないのであって、魚も自然が生んでくれるものであるという基盤の上にたち、魚によって仕事を与えられているという使命観から、魚に仕えるのであるという真心をもってひたすら研究がおし進められてゆくことを心から希望して止まない。
飼育の稿でも少しは述べて見たが、豚を育てようと思えば豚になり切ることが大切だと……。人間の育児の場合にも、母親は乳児になり切らねば、健康な子供は育つはずがなく、母親の愛はすべての大切な育児の条件に対して忠実であるばかりでなく、就寝の場合でもなお万全を期するためには乳児の寝入るのをよく確かめて後、床につき、そして乳児の目覚めるその前に、すでに母親は起き上って乳児にどこかに異常はないかと、隈なく注意をおこたらないのが本当の育児であるように、稚魚を孵化させよう、またこれを育てあげよう、という、増殖面で最も重要視される生死の危険を多分にもった初段階であるだけに、この母親の心境と真心が伴わなければ、決して成功するものではなく、職場を時間までというような俗人根性では、一尾の稚魚たりともつくり育てられないのであるといえよう。
昨夜まで健全に生育していた稚魚が、翌朝になってみると、みんな死んでいたというようなことを、よく聞くのであるが、これらのものの多くは、魚になりきって魚に仕えるという気持のゆるみから招来される結果であることが多いように思えてならない。
こうした基本的な要素の欠けた研究では、何年たっても行ったり戻ったりで、成果は上がらないばかりでなく、高価な浪費ともなり、研究費などの増額を要求する資格さえも消失し、ためにこうした過去における不信の積み重ねが水産増殖面の大きく取り残されて行った原因につながるものとも言わざるを得ないのである。
研究機関の稿でも、堀重蔵氏の項でもふれたが、すでに民間事業が先行している現況においては、その場を粥塗するような生ぬるい研究態度などはもうゆるされないのだといって、若い学徒には数多く接してきたが、その中でも近大原田輝雄、東大平野礼二郎両氏、などのように先輩のやり残している仕事は、即ちこういう時点に巡り合わされた自分達の発奮によって、汚名を挽回しなければならぬ、と涙ぐましい努力が払われ、素晴らしい成果をおさめつつあるが、なおこのほか、アワビの猪野氏、魚病対策研究の江草氏等のかん水増殖事業にかけられる努力は、その後に続く研究家を生み、愛媛水試の南沢氏、宮崎大学の木村氏、三重大学の窪田氏、高知大学の楠田氏、水研の藤谷氏などの今後における努力によって、必らずや魚病というものが、克服される時代もそう遠くはないと、大いに期待を寄せるもので、栽培漁業、沿岸漁業構造改善対策事業のうち、かん水増殖面の発展を期するためには、どこまでも、各魚種に対する完璧な研究が先行されることが、最も緊要事とされるのであり、これらの衝にあたられる研究家の輝やく成果が、一日も早く実を結び漁村の生産面に反映されることを期してやまない。
なおこれと並行して養魚の生産を約束する漁場の問題も、すでに述べてきたが、魚田化再編成の重要課題とは、真正面から衝突を余儀なくされる工場排水、し尿投棄、赤潮発生、埋立地造成などによる海水汚濁の問題点も、これみな学徒、研究家による問題解決以外に道はあり得ないのである。その他稚魚の中小魚時代の完全人工餌料の研究も大いに推し進められ、稚魚の完全歩留り、成育成長度についても、確信をもてるもの、即ち農家の売全肥料、家畜における完全飼料に必適するものが、発見利用される場合には、事業面の受ける利益もはかり知れないのである。
ただここで触れて置きたい点は、農業の肥料の場合の如く、人糞、堆肥など従来使用されていたものには相当のミネラルが含有されていたが、化学肥料ともなれば、製造工程途上において、加熱のためにそれがほとんど消失されて、収獲される米麦野菜には往年のそれよりも味も、栄養価も非常に低下されたものになっていることと、農薬万能の影響も加味されて、知らずしらずの間に人体に、あるいは体力、活動力に悪影響をおよぼしているということである。これを仮りに養魚の餌料にあてはめて考える場合にも、その恐れなしとは保証されないのである。