養魚秘録『海を拓く安戸池』(40)~結び~
野網 和三郎 著
(40)~結び~
国民等しく心に銘記すべき明治百年という記念の年もあと旬日にして去ろうとし、明治百一年、戦後すでに二十四年目という年を迎えようとしている。昭和元禄とあまり喜べもできない浮名のような、うわずった世相のもとで、国の守りさえも他国に依存しきった、他力本願の平和の夢に耽溺し、見るもの聞くもの、なんだかタガが緩んでいるように思える国内情勢のさなかにあって、各人各様の白我に明け暮れ、民主主義の本義を忘れ去ったかのように無責任きわまる言動をあえてし、世相を混乱させて平然たるもの、これで本当に国の将来を心配しているのだろうかと、つい疑問を抱きたくなる昨今である。なにかと言えばスト決行!それにエリートコースの東大生が、学生の本質本分をどこにどう忘れてしまったのか、その片棒をかついで全学封鎖といういまわしい事態まで引起こしているが、これほど人心を暗く、不愉快にする行為はなく、また国の威信をも失墜せしめるものであるともいえる。
これがアメリカのように何ヵ国の人種の寄り集りでもなく、レッキとした大和民族のみの日本であってみて、どうしてこうまで乱世の様相にならなければならないのかと不思議でならない。
戦後二十有余年間、あまりにもながい平和の夢に馴れすぎて、つい自分の負っている本分責任という人間本来の使命感から遠く解放されすぎた結果としか思えないが、いまこそ明治百年である明治時代のように、真摯な精神のもとに国論を統一する偉大な政治力の必要性を痛感する時代はないと思う。われわれ素人が出すぎた言葉かもしれないが、はやくなんとか各自が責任を持ち、静かで平和な国柄にしてもらいたいものである。
かりに現在の職域ストを決行するこれらの者のほとんどは、ありがたくも日常生活の保証をうけ、定年後は退職金、恩給という玉手箱が与えられ、老後の生活の安泰までも約束されている。言わば親方日の丸組に属しているものばかりであるというととろに問題がある。
われわれ農漁民にしても、動物、植物蛋白をつくることによって国民の体をつくり育て、活動力を提供しそれも自からの責任において国家に捧げている。ひらたく言えば、親方日の丸組と国に奉じている点においてはなんら変わりはなく、もし電信電話や列車を止めたり、その他公務員が職場放棄などをするように、農漁民が食料の供出を拒むようなことが、実際に行なわれたとしたならば、どんな結果を招来するかということである。農民や漁民には日曜も祭日もなければ、定期昇給もボーナスもない。勤務時間も八時間ではなく朝星夜星で老いて死んでゆく。老後を恩給で過せるといった、甘ったるいものはかけらもないが、それでも農漁民は懸命になって米や魚の天職に奉じて、なお生き甲斐を感じているが、最近、農山漁村から次代を担うところの若い世代のものがつぎつぎに去ってゆく……これはなぜだろう?