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コロコロとボンボンだったらコロコロ派でした。
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2024年7月10日(木)
昨日、「ちょっと身を引き締めたい。」とか書いたのに、何も変わっていない。
マズい。
今晩から変えよう。
一瞬、「明日から変えよう。」と書きかけたけど、それはフラグでしかない。
やっぱランニングとかも再開した方が良いな・・・。
疲労を言い訳にサボっていたけど、今、全てのリズムが狂い始めている。
「今、全てのリズムが狂い始めている。」ってめっちゃカッコイイな。
「今、全ての◯◯が✕✕始めている。」はかなりイケている。
と思ってご満悦だったんだけども、しばらくして、どっかで聞いたことある気がしてきた。
そうだ、キュンチョメが作品のタイトルとかステートメントで使ってる「いま、すべてのいきものが呼吸している。」だ。
丸パクリじゃないか。
この程度の人間だよ。
午前中から東京駅近くでミーティング。
カフェの窓から外を見ていると、中学生ぐらいの修学旅行生っぽい集団が通っていく。
ほとんど全員コロコロ(キャリーケース)を引いていてビックリした。
オジサンの世代はみんなボストンバッグだったぞ!
一部、ほんの数名だけボストンバッグを提げていて、なんだか安心した。
しかし、どう見ても、ボストンバッグは重そうで、コロコロは軽やかだ。
これじゃコロコロ選ぶよね。
この圧倒的な機能差の前にはノスタルジーも完敗である。
ただボストンバッグの方がデザインに個性が出るな、とは思った(引きずるノスタルジー故の負け惜しみではなく)。
あの頃のボストンバッグは、女の子はカワイイのを持ってたし、男の子はスポーツブランドのとかカッコイイのを持ってた。
ほとんどのコロコロは柄とか無くて没個性だ。
そこだけはコロコロにも負けを認めて頂きたい。
しかし、いつからこうなったんだろうなぁ。
ボストンバッグとかもう死語なんだろうなぁ。
恥かいちゃうとこだった。
いやでもコロコロなんて使わない自分は、ボストンバッグの為なら喜んで恥をかける気もする。
コロコロの正式名称ってなんだっけと思って検索し、コロコロコミックが健在であることにホッとした。
僕の世代はコロコロ派が圧倒的多数で、一部のエッジの効いたヤツがボンボンを読んでいた。
ジャンプとサンデーの関係みたいなものだと思う(適当です)。
ノスタルジーがはかどる。
こうして、過去をなぞりながら生きていく。
オクラがどんどん弱っていってつらい。
一部、元気な子たちだけでも立派に育って欲しい。
水やりだけは頑張る。
セロリとバジルは無事育ってくれていて嬉しい。
収穫したプチトマトと青じそが美味しいよ。