年齢を重ねる毎に、自分らしく、生きやすくなる日々
生まれてから三十数年、今が一番自分らしくいられているような気がする、のは気のせいだろうか?
少なくとも出産前までは、否、第1子の出産後くらいまでは、あぁなりたり、こうなりたい、こんなふうにしなきゃとか、理想を追い求めて、そして、その理想にいつかなれると信じて過ごしていた気がする。
20歳過ぎには、就職活動もあり、もちろんここで、いわゆる自己分析もしてきたのだが、出来たようで形だけに終わっていたのだと今になって思う。
だから、自分と改めて向き合ったり、自分とは?と本気で考えるタイミングというのがなかったのだ。
そして、最終的には、子供が生まれ、とにかく時間、体力、精神力が強制的に制限される生活になり、自分と向き合わざるを得なくなった、というとが実情である。
この子育て中の制約のある生活の中で、自分は何がしたいのか?、どうしたら楽しく過ごせるのか?、どんな生活が心落ち着く?、働くのか否か?、どんな働き方をしたいのか?、少しでも時間ができたら何に時間を充てるのか?など、自分の心に問い、本当の意味で自分が求める回答を考えるようになった。
すると、自ずと本来の自分というものが見えてきたのだ。
私は、慎重派で、心配性で、真面目。自分の意見を表にするのは苦手だし、どちらかというとインドア派。
そう…。今振り返っても、いつもどんなときも、私の中にはこの自分がいた。けれど、なんとなく、元気で活発、身軽にどこへだって足を運ぶアウトドア派でいたいし、細かいことは気にしないなんとかなるさ!な人でいたかったのがかつての自分である。(わかる人にはわかる気持ち?笑)
だから、本当の自分をどこか隠したかったのだ。けれど、あまりに多くの制約のある中でそれをするのは難しく、自分を壊しかねないようなことだと認識するようになった。そのため、慎重派で心配性な自分も受け入れていこうと思えるようになったのだ。
すると、様々なことに対して現れる、自分の思考、発言、行動などが、心配性で慎重派な私だからこそのものなんだ、と納得できるようになってきた。また、きっとこの生活の先にはこんなことが起こるから、事前に準備をしていこうなどと想定もできるようになった。
これだけでも、とても生活が心地よいのだ。
また、育児や家事一つ、人との付き合い、或いは、ご飯を食べるお店のチョイス一つでも、こういう自分だからこんな選択をしようと考えられるようになった。
そして、どんどん自分を知る意識をするようになったので、日々、年々、歳を重ねる毎に、自分らしくいられるようになっているのでは?と、感じるのだ。
誰にも理想はあるから、あるがままの自分を受け入れるのは難しい時もある。けれど、向き合い、一度受け入れてしまうと、なんだか、とても身軽に生きることができる。
私も、アラサーになり、さまざまな人と出会い、子育てをする中でようやくわかってきたこと。だから、20代、30代の若いうちは、あまり視野を狭めず、こうならなきゃと肩肘張らずにいきていて良いのだとも感じた。
子育てもそう。幼いうちから、すべての人生が決まるわけではない。子供の行動や選択を信じて、見守りながら歩んでいくのが、程よい距離なのだと。紆余曲折ありながらと、いつか、きっと、自分とめぐり逢える。
だから、親の私がアレやこれや考えすぎるのも良くないなと笑
そして、自分と向き合うことがとても大切で、人生を生きやすくしてくれると教えてくれた子供達には本当に感謝している。
これからも、色んな自分に出会い、さらに人生が生きやすく、彩り良くなっていくことが楽しみだ。
Mina🌱
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