29年連れ添った生き方を変えるのが怖い
こんばんは。みなもとなこです。
「人より少しできる」がアイデンティティだった。
だから今の状態は苦しい。
デラさんの著書『うつ病で20代全部詰んでたボクが回復するまでにやったこと』の要約動画を見て、村人としていきるという節が妙に心に刺さった。
わたしはヒーローでありたかった。
物語のキーパーソンでありたかった。
モブはいやだった。
でも、それを諦めろと書いてあった。
悔しかった。悲しかった。
(そういう意図ではなかったとしても)
学校の成績もスポーツも努力していつも上位にいた。
容姿や体型も一般的に「ウケる」ように努力していた。
会社内での実績や信頼も努力して得られたものだった。
でも、その努力に自分が押しつぶされた。
頑張り方が違ったのだ。わたしの身体には合わなかったのだ。
もうあんな頑張り方はできない。
しようと思ってもきっともう無理な気がしている。
そうなるとどうなるのだろうか?
これまで得られていたモノは得られるのか?
・・・
・・・
これまで得られていたモノってなんだろう?
他人からの賞賛?何かしらの優遇?給与?
わたしは何にすがっていたのかもわからないけれど、
大きなモノがなくなってしまうに違いないとただただ怖い。
努力の深さは変えなくてもいいのかもしれない。
努力の角度を変えればいいのかもしれない。
でもそれで結果がどう変わるのかやってみないとわからない。
失敗するのが怖い。
今が振り出しだとして、また振り出しに戻るのが怖い。
試行錯誤を繰り返さないといけないのだ。
わたしは、29年間歩んできた生き方を変えるのが怖い。
努力の方法を変えて、怠惰な人間になることが怖い。
「できない側」の人間になることが怖い。
誰かに「ダメになったね」と思われることが怖い。
今は怖いがいっぱいだ。でもやらなくちゃいけない。
踏ん張りどころだと思う。
生きるなら、生きようと思うなら踏ん張らなくちゃいけない。
こんなに踏ん張るならもう生きたくないよ。
そんな声は少しは小さくなったけど、まだ私の心にいるの。
ごめんね、あと少し生きやすくなるために頑張ってみよう。
試してからでもいいじゃない。ね?
どうなるかわからないけれど、今の気持ちを忘れないために。
生き方を変えるのは怖いよね。
わたしはこんな気持ちだよ。
ひとりじゃないよと、どこかのわたしに向けた手紙。